今日は13年前東日本を襲ったあの忌ましい東日本大震災の起きた日、あれ以来日本は自然災害に取りつかれた小島のごとく震災に継ぐ震災で、多くの被災者が亡くなり、傷つき、今なお行方不明者の多くが帰り着くべき家に戻れない状態だ。自然災害は福島第一原発の放射能汚染を人災で招き、原発の更なる怖さを広めてしまった。 大震災については、後段触れることにして前段は、ここ数日ブログアップができなかったこのについて、触れてみたい。
福島に住む我が二番目の兄の危篤の報に駆け付けたとき、今の世の中の交通システムに乗れない筆者の苦労話に少し触れることにしたい。
兄の病気入院を電話で聞かされ驚いたのは筆者だけに非ず、すぐ上の兄貴で茨城に住む二人で見舞うことにして向かうことに
交通手段だが、小型車に乗り換え雪道を運転するには自殺行為の年寄り故、電車で行くことに決め、多くの高齢者が利用する電車運賃割引システム「大人の休日倶楽部」を利用することに、電車に乗る前から右往左往の状態。会員証を見れば数間使ってなかったために、会員証に写真を張り付けるために今の顔写真を撮り、会員証に張り付ける仕事が前日に待ち受けていた。金を使いたくない、自分でいつもやっている写真の撮影から、キリトリそして貼り付け作業は楽しく、パソコン研修会の一コマのようにテキパキとできた。これで「緑の窓口」に提出し切符を求めれば3割は安くなるから嬉しい。
次は出かけるコースを探すのだが、前日本屋で求めた時刻表は1180円と安くもない上に持つのはも過ぎる、しかも使うのは今回一回だけだろう。ダイヤ改正が3月16日になるので、ネットに押され次年度は使用不可になりそうだ。
高齢者故乗り換えは少なく、乗車時間も少なくが鉄則、特急や快速はやめて、全て新幹線で停車駅も少なくすることでネットで検索。
ここら辺にくるといつも電車に乗り慣れている人とそうでない人の差がつきそうだ。
出発は直近上越妙高駅とし、乗り換え一回で大宮乗り換えで福島とコースを選択する。
乗車料金割引のメリットは大きく、乗車距離が長くても到着時間が少ないのは嬉しい。
往路は土曜日の午後であまり混まず助かるが、一番困ったのが、不案内な旅客案内システム。全て案内掲示板を見なければならず、しかもホーム上の電子掲示板は、常に動く字幕スーパーが流れており、暗記できない高齢者にとり。不親切極まりないシステムだ。
更に足腰の弱い高齢者にとって致命的なのがホームの異動と階段の上り下りであった。到着ホ―ムから乗り換えホ―ムへの移動。
愚痴を続けるが高齢者と言えば聴力の衰えた方や難聴の方など混雑するホ―ム内や車内での移動はとても難しく危険な環境である。
こうなると車での移動が楽であるが、心身ともに衰えた今の状態では、せめて誰かに載せてもらって移動するのがベターと痛感した。
昨夜夕方折り返し駅を東京に設定し、東京始発でゆっくりと座っての帰郷を試みた。予定より一電車早いのに乗れたので良かったが、長野で終点の電車に載ってしまい、長野からの新幹線自由席を探し、この間夕食でもと探すために一旦下車したのが命とりになり、長野発金沢行き各駅停車自由席に乗るにはさっき残した乗車券だけが使えるものの自由席特急券は再度1300円買って乗らなければならなかった。説明を聞いても聞いても理解できず、その乗り場にたどり着けなかった筆者であった。ようやく一電車遅れ、余計に金を出して上越駅にたどり着いた筆者であった。駅頭に降りればそこは一面雪の原、空っ風が吹き快晴の寒い福島とは大きな違いであった。
資料 2011.3.11のブログから
安否確認情報
大地震で大変な状況となっていますが、新潟のじじとばばは今のところ大丈夫です。避難の準備をしています。16:03 皆さんも十分気をつけてください。除雪機操作中で気づかなかったが妻の「地震だよ」の声、急いでテレビを見ると大事(おおごと)になっていた。午後2時46分に発生した地震は宮城県沖で、そしてごく少し経ってから茨城県沖に併発。
後で分かったのであるがマグニチュード8.8は観測史上最大級の地震、しかも太平洋上で日本を挟み撃ちするかのように10メートル超えの猛烈な津波が無防備な海岸を襲った。
滑走路をなめるように走る津波、田んぼをなめるように高台も襲う津波はまるで映画を見ているようで呆然自失の体であった。付近に住む親類に電話するもすでに「後の祭り」で不通となっていた。
我が家も泥縄ではあったが妻と避難準備を始める。水、お湯、手動式電灯、ラジオ、防寒対策、残り物のパン、そして現金と保険証等々・・。備えあれば憂い無し、中越地震、中越沖地震を経験している我ら新潟県民は、恐れることなどない筈だが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」は凡人の常。
痛い目に遭わなければ真剣にならないのが悲しい性(さが)である。
ともあれ、被害がこれ以上大きくならないことを祈りたい。今宵は心安らかに眠りたいものだ。
そこで心配なのが一人暮らしのお年寄りだ。数名に即電話を入れる。通信状況はまだいいようだ。繋がった。
「元気です」のしっかりした声にほっと一安心す。「遠くの親戚より近くの隣人」これが災害時に頼りになる助っ人。今言われている言葉「無縁社会」であってはならないことを強く感じ、忘れ得ぬ3月11日となった。