8/28 倶会一拠
大きな出来事もなかった月末少しばかりブログの夏休みをいただいた。それでも季節の移り変わりを自然から感ずることは多い。だれのい詩だったかど忘れしたが「秋来ぬと 目には清(さや)かに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」があったのを思い出す。目には明確に見えぬが秋の風の爽やかさは肌でしっかりと感ずることができる。秋はもうそこに来ている、ということだろう・・と。
先日雨上がりの中、板倉の大型スーパー「清水屋」に出向く。清水屋から見た妙高山系には低くたなびく雨雲が尾根を超えて上がっていく様を確認。
下には関川の堰、今日の関川は水かさを少し増やして若鮎のごとく元気であった。
目指す清水屋には、ウイークデーにもかかわらず多くの客が訪れ、安価な食材を求めていた。2号館には手作りのわんちゃんが招き猫ならぬ招き犬のごとく笑顔を振りまいて「いた。
「健康のためなら死んでもよい」とは誰とは言わぬが先輩の遺した名言。今日も妻と見せかけ・見てくれの散歩。人目につかぬ裏街道の畦道。秋を感じたのがこのイガイガ。初めての観察。未熟で落ちたイガグリ、見ると全てに茶色の「へその緒」。拾い上げてみたのがコレ・・ワンツウスリー・・。はてこのへその緒なんのためにどんな働きをしたのだろうか・・、教えていただきたい。
翌日27日、市内の、とあるお寺で妻の親戚の納骨式に参列。墓石を見れば多くの墓標に写真のごとく「倶会一拠」の文字が見られる。普通は「00家先祖の墓」とか「墳墓」などど記されているのは見たが、今回初めての気づき。お寺の奥さん曰く・・「倶会一処(くえいっしょ)とは、浄土教の往生の利益の一つ。阿弥陀仏の極楽浄土に往生したものは、浄土の仏・菩薩たちと一処で出会うことができる」、という意味であるとか。そういえばこのお寺、親鸞を祭る浄土真宗派で阿弥陀仏を念ずるとか・・未だにあちらの世界には無頓着な万年青年の筆者、学ぶことはあまりにも多い。
28日日曜日、ライブラリーが行う今月の映写会、上映映画は名作「黄色いリボン」その昔、銀幕を飾った名作。お客の入りはそれに反比例して20名やや寂しい感じ。客層は筆者より皆先輩。若者は皆無であった。