3/2 明日はひな祭り春よ来い、早く来い
明日は桃の節句、今思うと我が家でひな祭りがやけに盛り上があらなかったのは息子3人だけという家族構成のせいか、妻だけが女性であり、ひな祭りに限らず季節の行事で華やいだ雰囲気など経験したことはとんとなかったように思う。今女の孫が2人生まれ、男の孫とは違ったかわいさを年に数回実感させてもらっている。
このひな祭り、東北では月遅れの4月3日に行っていた。今もそうだろうか。東北の春は遅く、4月3日頃にはやっと雪も融け出し、お隣の雛壇、ひな飾りをうちそろって見に行ったものだ。・・。当時のお雛様は親方(おやかた)さまのお雛様はいざ知らず我が家のようなどん百姓のお雛様などは布製に非ず、陶器で簡単にできたものが多かった。それも父が毎年ばらばらに買い求めたものでなんともバランスに欠けたものであった。
それでも、餅をつき、ひなあられを煎り、甘酒はどぶろくを代用し、子供の筆者も気持ちよくなれたおおらかな戦後の一時期であった。酒といえばクリスマスには赤玉ポートワインを飲み、子供ながら悪酔いをしたことも記憶の隅に。一滴も飲めない親父のどこのDNAをもらって呑兵衛の筆者が出来上がったかあの世の親父に聞いてみたいもの。今はただ強い肝臓を残してくれた父に感謝するばかりだ。
一夜明ければ桃の節句、隣近所から節句らしき声は聞かぬが最寄りのスーパーやコンビニに行けば商魂たくましく「灯りをつけましょボンボリに~」とBGMが客招きに忙しい。きれいなお内裏様とお雛様のコーナーを覗けばそこは節句商品が満載。カメラ撮りをさせていたく、しばし遠くの2歳と3歳の孫娘に想いを馳せた。
帰れば、2歳の孫娘から電話あり、口調滑らかだが意味不明、息子の通訳によれば「遊びに来てね。」とか、じじとばばのいつもの険悪な雰囲気はものの見事に氷解。孫の力の大きさに改めて驚かされた3月3日であった。
正式名を覚えた後でなら心配はなかったのですが。我が家は夫婦とも生誕地が違うので話もまとまりません。(笑)