5/22 我が家の金環食観測は失敗
リングがしっかりと見えるエリアはもちろんだが部分食の新潟でも観測に対する興味は高かったようだ。
筆者もご幼少のころは科学に魅せられ、発明少年を夢見たが神童も二十歳(はたち)過ぎればただの人と言われるように、目標とする進路とは大きくずれ、なるようにしかならぬ人生をたどってしまった。
ケーブルビジョンでは、清里区にある「星のうるさと館」天文台からは刻々と変化する部分食の画像を配信していた。
そして、全国ネットでは長野から金環日食前後に見られるビーズ状の形まで放映。
筆者も7時ころにはカメラと三脚、鏡と白紙を準備
が、どうしても白紙上の満月状の太陽に欠ける気配すらない。時間が経過したら表れるかと思いきやそれでも見えない。時間経過とともに太陽光に陰りが見え始め、すこしだがアウトドアの気配がダークになってきた。
これが筆者の白紙に移った太陽である(筈だったが)。欠けない原因は今日になって分かったが学習不足に尽きるお粗末さであった。
失敗の原因は簡単、白紙に写った画像は円形で太陽の形のようだが、実際は鏡の形がそのまま写っていただけのこと。鏡の形でいかようににも変わってしまうだけのこと。筆者の一大天文ショーはこれでオジャンとなった。
さて、21日の天気は殊の外暑く、午後にはOB会の幹事会の歓送迎会あり。(「の」の多用はご法度だが)
ほとんどの先輩は6年もの長きにわたりご精勤であった。
本日のコースもいつもの通り2時間飲み放題コース。いつものことだが歓送迎会の開会式は長くそれぞれの功績が紹介されていた。これから5おのだが年も続けるかと思うとやや気が重いが・・・。
今回の料理は「飲み放題コース」の料理は残す公算大と見たか支配人、おままごとのような器に多種少量のゴチをてんこ盛り。
車社会となってから高田駅前など用足しに出向くことはない。おかげでどのように街並みが変わったのだろうか。旧長崎屋跡地に建設中の総合ビルは鉄骨骨組みが見え始めた。
そして2次会場のある駅前からの駅舎は昔風のお城に似せたものだが、やや珍奇で雄大い欠ける。駅前のロータリーを見て思うのだが、雪国のあの構造物は高田図書館横の構造物に似て不要だと感ずる。・・市民も多いと聞く。
菊池 寛作「父帰る」(だったかな?)ではないが我が家のかあちゃんを孫に取られてはや20日間になろうとす。料理は手前料理で事足りているがやはり居るべき人が居ないと寂しい限り。明日あたり帰るとのこと、今度は孫がばばを探してあっちの部屋こっちの部屋といそ悪しくなることだろうか。迎えに行きたいが睡魔と孤独はばばより怖い。
今日の高田公園外堀のこ小径は緑のそよ風が心地よかった。
待たれるは盆菓子に似てピンク一色蓮の花である。