10/22 人生にバイパスあり
北陸新幹線の負担金のことや放射線で汚染されたガレキの県内焼却では一過言を述べる骨太の知事、はらはらどきどきの場面を見せてくれたり、従来の知事のように国へはイエスマンではないところが信頼のおける人物とみてとった。
夕暮れ時パノラマで撮った写真は、開け行く南高田の夜明けに見えて仕方なし。
妻なしの夕方の一人散歩、季節外れだろうか、凛として孤高を保つピンクのバラ六輪、我が背丈より高く主の風格を表しているようだ。
散歩道を横切るような山麓線バイパス。そのバイパスと交差する市道我が散歩道のバイパス工事(右)が終わっていた。心臓に血液を送る冠動脈のバイパスに似て心強い。
人間の臓器の多くは今でこそ移植ができるようになったが、おいそれとできることではない。前期高齢者前までは仕事人間で通せるが年金を満額いただくあたりから、人生の週末否終末を考えねばならなくなる。とたんに人間は老けてしまうから不思議だ。年末には筆者も69(報)われない歳に突入。できれば報われる年にしたいが・・・。
人間にとって一番の不幸なことは歳をとって何事もすることがなくなることだと言う。やるべきことがたくさんあり、人様から期待されて生きる人の姿はいつも晴れやかだ。おそらく生きるバイパスをたくさん持っているからだろう。
毎日新聞(いわゆる毎日新聞ではない。)などのメディアをにぎわしている生活保護の問題。自分でやりたいこと、喜ばれること、期待されることを持っているひとは幸いであり、生活保護は不要だ。生きる目的と生きる術(すべ)を持つことが急務である。
帰宅すればPCネットのサノ氏から花の宅配便が届いていた。金沢から白山、岐阜など北陸・中部の花と名刹を求めて撮った写真の数々。その一部を転載させていただいた。はて、ここは何処?私は誰?
お酒をいただいたように山の神(紅葉)の顔は紅葉色(もみじいろ)に染まっていた。