1/2 人生いろいろ
親子4人で新幹線に載って帰省した次男、年末心臓によくないハラハラドキドキの医者騒ぎを起こしてくれた孫娘はじじと寝ると約束しながら結局契約不履行のまま帰って行った。
乗車する南高田駅ホームに架かる隣家の柿の木、熟し過ぎ今にも落ちそうだが未だに落ちない柿の実は元気で小枝にしがみついていた。
長男は5歳の孫だけを連れてこれまた大晦日にはそそくさと車で帰って行った。長男と長女の結婚だけに両親に気を遣い帰らざるを得ない息子の心中を察するには余りあるし、「あと一つあと一つ・・お願い!。」と帰るのを拒んでいた孫にじじばばは為す術もなく居たたまれない気持ちであった。
忙しい中にも不平ひとつこぼさず甲斐甲斐しく立ち働いた妻に感謝の言葉しかない。文字面ではなんとで書けるが面と向かって「ありがとう」の言葉は掛けづらい。
よくしたものでブログの内容は息子たちの電話で妻には全て筒抜けだった。
妻曰く「あまり変な内容の記事は書かないでね。」ときた。
新年は特定の市民にだけ訪れた訳ではない。いろいろな境遇の人々にも公平に訪れた筈。民生関連でも長らく入院中のSさんも正月休みということで一時外泊が許され帰宅。
しかし、自宅は無人のために冷え冷え、人一倍人のぬくもりを求めて帰ってきた彼にとって冷たい自宅は嫌だったのか友人宅へ居候することに・・。
正月といえばお酒がつきもの、呑んではならない禁断の水を口に含んだ彼はすぐに元の彼に戻った。
「呑んでもいいが呑まれるな」とは昔から言われた常套句。
傾聴ボラの筆者をもってきても彼を説き伏せることはできなかった。
還暦を迎えたいい大人に「人生とは、」「これから生きるには」・・等々の言葉は今更釈迦に説法。心の琴線に触れる言葉と行動を探さねばなるまい。
それにしても、このような御仁を救う手だてはないものか?行政、福祉関連施設、警察はそれぞれ自分のテリトリーをしっかりと守り責任逃れではないが救いの道は閉ざされ兼ねない状況だ。日本という国は多くの場合一旦事故が起きて損害・被害が出ないと動かない硬直したシステムの上に成り立っている国家だということがよく分かる。
一介の民生委員で何ができる訳ではないがせめて駆け込み寺やNPO法人のような心の通った受け皿がほしいものである。極寒の一室で孤立死などさせてなるものかと今日も奈良漬けのようになったSから話を聞く。
今の世の中当たり前のことを当たり前に進める力いわゆる自立性や社会性、公共性や正義感、自己実現、自己責任等々の人間として備えるべき基本的資質の希薄さが目立って仕方がない。
いわゆる現実逃避とでも言うべきか。更に怖いのはバーチャリズム(仮想現実)社会にどっぷり浸かった大人と子供である。IT社会の発達はアバウトな空想ゲームの中で現実を見失わせる危険が非常に大きい。
後に続く