6/1 東北六魂祭りは燃えて
東北六県が震災被害に遭った太平洋側4県の人々の霊を慰め、励まし、元気づけるために一昨年から始めたこの「東北六魂祭」の行事。県内外から多くの観光客を招き、被災地を見て、お金を落としてもらうことで元気づけることができるとの発想でスタートしたと聞く。
福島に住み、震災被害でマンションを一時的に避難した兄貴夫婦を気にしてはいたが慢性体力・金力不足症候群で禁足令のかかった事態も兄弟会をするからの一声で背中を押された感じで茨木の兄貴と現地合流することに。
日本海側と太平洋側を結ぶ大動脈は動脈硬化にかかった我が血管のごとく細く対面通行もあり危険極まりない磐越道であった。10人くらいしか乗っていない客席から見る磐越道は新緑の緑に次ぐ緑であった。
朝7時半過ぎ高田駅前初高速バスは三つ乗り継ぎ福島駅に着いたのが4時過ぎ、おしりは痛く、民謡「相馬盆唄」の歌詞に見るごとく「ハー 遥か彼方は~相馬の空かよ~なんだこりゃよっと・・・。」の通り遠く長い道のりであった。道中はいろいろとあり・・。
越後は津川、三川を抜ければそこは会津若松、「ならぬものはならぬ」の看板と赤ベコと「磐越物語号」のSLの大車輪が駅頭で我を待っていた。それにしても福島も広い。
会場となる福島市のど真ん中では幹線を貫く国道から車を全てシャットアウトし、六県の自慢の出し物を二日間に亘って披露する大パレードとなるとか。
当日はすでに交通規制の準備がとられ、警察官交通巡視員、ボランティア、スタッフなどが同じいでたちで準備に励んでいた。
イベントは1日午後2時、ブルーインパルスの曲技飛行で幕が切って落とされた。松島基地から飛来した6機のジェット練習機は我がラジコン仲間の演技と同じくループや散開、スモッグを吐きながらのアロウ急降下等々地元の基地の部隊であることを自信満々で演技に表現していた。ただ、残念だったのは墜落などアクシデントを懸念したか観客席からは遥か遠くを飛んでおり、筆者たちのRC飛行に比べると音には負けるがやや腰が引けたフライトに見えた。
一連の写真は往路後とイベントの詰まったメモリを一瞬の間抜けで全て削除してしまい 。アップした写真はその後の写真である。マンションから撮った写真は閉会後の参加者全てが和気藹々とオリンピックの閉会後の退場と同じく互いの励ましと絆を確かめるほほえましいものとなっていた。我らマンション組みにも手を振り続ける各県の踊り手たちの顔がまぶしい。