3/11 超巨大地震マグニチュード8.8発生! で始まったあの時
安否確認情報 大地震で大変な状況となっていますが、新潟のじじとばばは今のところ大丈夫です。避難の準備をしています。16:03 皆さんも十分気をつけてください。 除雪機操作中で気づかなかったが妻の「地震だよ」の声、急いでテレビを見ると大事(おおごと)になっていた。午後2時46分に発生した地震は宮城県沖で、そしてごく少し経ってから茨城県沖に併発。 後で分かったのであるがマグニチュード8.8は観測史上最大級の地震、しかも太平洋上で日本を挟み撃ちするかのように10メートル超えの猛烈な津波が無防備な海岸を襲った。 滑走路をなめるように走る津波、田んぼをなめるように高台も襲う津波はまるで映画を見ているようで呆然自失の体であった。付近に住む親類に電話するもすでに「後の祭り」で不通となっていた。 我が家も泥縄ではあったが妻と避難準備を始める。水、お湯、手動式電灯、ラジオ、防寒対策、残り物のパン、そして現金と保険証等々・・。備えあれば憂い無し、中越地震、中越沖地震を経験している我ら新潟県民は、恐れることなどない筈だが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」は凡人の常。 痛い目に遭わなければ真剣にならないのが悲しい性(さが)である。 ともあれ、被害がこれ以上大きくならないことを祈りたい。今宵は心安らかに眠りたいものだ。 そこで心配なのが一人暮らしのお年寄りだ。数名に即電話を入れる。通信状況はまだいいようだ。繋がった。 「元気です」のしっかりした声にほっと一安心す。「遠くの親戚より近くの隣人」これが災害時に頼りになる助っ人。今言われている言葉「無縁社会」であってはならないことを強く感じ、忘れ得ぬ3月11日となった。」
以上は3年前の東日本大震災の日の我がブログである。未曽有災害の災害の全てを知ったわけではないがテレビ画面から伝わる現場の悲惨な状況はすぐにわかった。
全国各地からはすぐにでも助けに行かねばという声が上がったが通信網。交通手段が断たれた今、できることは自衛隊や消防隊、警察にその仕事を委ね、自分たちの身の回りを見直し災害に備え、被災者の無事を祈ることしかなかった。(以下の3枚はNHKTVから引用)
話はにわかに変わるが三十年もこの上越に住んでいながらカーボーイの中にできた「上越の湯」に入ることはなかった。天然温泉、お泊りもできる。安い。宴会もできる・・等々。
〇今日は県内の高校の入試・・・天気は良かったが結果はどうか?
〇今日は何の日と問われれば?昭和45年ボーイング社の747ジャンボジェット旅客機が初めて日本の空に飛来した日・・・・今は全て引退したが・・。