9/15 75歳以上は是人口の1/8
ゆずり葉のごとく朽ちていくのは仕方ないとしながらも盆暮れに見る孫たちの姿からは生きる力をもらうのも事実だ。昨夜は東京の三人のかしまし孫娘の写真を受信す。朝な夕な元気な声が狭いマンションに響いていることだろう・・・そんな場面を思い浮かべながら寝床に入ったばばを起こす。一日早い敬老の日の贈り物となった。
ブログを書いている15日の今も上空には我がラジコン飛行機と間違うばかりのセスナ機が「上越妙高駅」上空を旋回す。(HUJI400m)
さて、今日は何を書けば?と興味が湧いたのが北陸新幹線の動向だ。(日報紙の一面引用)
「日報をとってください。」と勧誘に来た二人の販売員からただで貰った「新潟日報14日版」その一面がこれ。他県の開通に向けた熱の入れようと大きく違って醒めたような新潟・上越市の対応。初めから素通りする「速達型」などある筈がないとたかをくくっていた脇の甘さ、昔から言われる「伝統的殿様商法」がここにも出た感じだ。降りても何もない新駅前。確かに何回か工事中の駅前に立つも周辺に大きな商業施設が立つ気配なし、山麓線以外大きな道路が通るわけでもない。遺跡では人は呼べない。
日報を読んで合点がいった。関西と東京を結ぶに新潟は不要であった。はやい話が北アルプスにトンネルを掘れば長野から直に富山・金沢に行ける。しかし、それは技術的に無理で止む無く新潟をかすめ通る・・ということだという。事の顛末にはかの田中角栄も大きく関わっているという。上越のこれからをどうするということについて、中下越の政治家は醒めた目で見ていることも承知していること。
そういう筆者、新幹線を使うのは年に何回もない。魅力ある都市づくりが村山市長に課せられた古くて新しい課題だと思う。カリスマ的存在、全国に通用する行政マンであってほしいものである。
朝のゴミ出し中、「犬も歩けば棒に当たる」・・ではなく、秋の代表的果物「柿」に当たる。
近所の仲間から渋くない「ゴマ入り柿」をいただく。名前は聞かなかった。小ぶりながらゴマはてんこ盛り。得てしてゴマ入り柿は美味しくないのが相場だが・・・これは意に反して美味であった。葉っぱは秋模様でこれまた天然色。