12/30 孫抱いて 知るや我が身の 老いたるを
何人様のお泊りかと聞かれる位、我が家の玄関を埋め尽くした靴いろいろ。
お天気も歓迎、快晴の金谷山ではボブスレーに興じ、かわら亭にて覚えた天然温泉の感触。「見るだけ」とわざわざ断り通(かよ)ったコメリパワー」のペットコーナー。2歳、4歳のメモリーには残らぬだろうが小学校1年生の孫は覚えているだろうか?。筆者のご幼少の頃家にカメラはある筈もなく。写真はあるが学校で毎年撮る記念写真だけ、自分の生い立ちを記憶するマシンもメディアもアルマジロ。我が生い立ちの歴史はまるで川から流れ来てこの家に拾われたように希薄だ。
短い逗留、したいことさせたいことの多さにばばは急ぐ。昨夜は定番の坊主めくり、そして、カルタ、とトランプと寝る間を惜しんでの孫子(まごこ)との交流に夜の更けるのも惜しんだ。
明ければ出発の日、ばばの思いは正月二日の書き初めにシフト、3人の孫に筆を取らせ、自分の名前を書かせる。
そして、孫との合唱、オルガンに合わせてお別れの歌だろうか・・・・数曲が雨音を掻き消すように団地を流れた。
戦いの 無意味示せし 不沈艦
(映像BS朝日から引用)
孫たちが帰り、狭かった我が居間やけに広く見え、時間に追いまくられた一日がやけにゆったりと流れる午後、録画したビデオを見ることに。これも既に数回観た映画「男たちの大和YAMATO」である。戦争末期、戦線は後退し、制空権も制海権ももぎ取られ、援護の飛行機ももたない戦艦大和を中心とする特攻艦隊は連合軍の攻撃に風前の灯の沖縄作戦に参戦する。
乗艦しているのは未だ年端もいかぬ若者。無駄死が分かっていながら特攻作戦に参加する水兵の母の我が子をもぎ取られる切なさが物語を貫く。戦争は仕掛けてもいけない。加担してもいけない。戦いが怨念をつくり、仇をつくることに。したがって、集団的自衛権の行使はせず、平和的決着を。