3/4 昨日の次の日
一昨日の夜は記憶に新しい「明日の記憶」。そして、昨夜は高倉 健と倍賞千恵子、桃井かおり、武田鉄也4人が小さなマツダの小型車ファミリアを駆って広大な北の大地を彷徨(さまよ)いながら、男と女、妻とは夫とは・・・生きる・・とはなんたることかを論じていた。高倉 健の追悼作品であったが寡黙にして男気のある筋金入りの高倉の作品は見ごたえ満点であった。加えて「男はつらいよ」のさくら役倍賞千恵子の控え目なバツイチ役はこれまたはまり役であった。そしてこのストーリーを明るくムードメーカーは若き日の武田鉄也と桃井かおり・・であった。
昨今のテレビでは地上波初の映画は少ない。不景気につき新作は出ず、旧作の煮っ転がしばかりである。それでも昔の映画はいい。刑事もの、推理物、「水戸黄門」などなどじじばばの視聴する時間帯に合わせて番組は決まっているいうだ・
日韓関係は冷え切ったままだが、市民サイドの文化交流は順調だ。特に日中(日本と中国ではない)のBSテレビ欄は一頃より少なくなったとはいえ韓流ドラマは未だ元気。筆者三度三度のごはんと午後の二つの韓流歴史ものを欠かすことはない。
話はコロコロと変わる。昨日のこと同期の家を訪ねる。上越市内はもちろん近辺ではちょっと名の知られた御仁だ。切手収集家のSさん宅だ。玄関に入る前に自宅とつながっているポスト型の別宅には驚かされる。巨大な赤いポスト風の展示室。
既に数回訪問しているが郵便切手など全く縁もゆかりもない筆者だがコーヒー一杯で延々と90分間の講義を聞く羽目に。しかし、彼の切手に込める思いは山よりも高く海よりも深い。電話やメール、LINEの時代に切手ではないだろうと内心思いながらも彼の切手にのめり込む人生観に引き込まれるばかりだ。筆者の記憶に残っているのはご幼少の頃赤いポスト型貯金箱にチャリンとお金を入れたことばかり・・と貧困を絵に描いたような
記憶しかない。
記憶と言えば、「ひな祭り」のことだが、我が実家雪深い東北の田舎では、月遅れで四季折々の行事が展開する。雪深く、寒い中のひな祭りは4月3日と決まっていた。小学校の頃だったろうか、仲間と連れだってあっちの家のひな飾り、こっちの家のひな飾りをひけらかしながらアラレやお菓子をいただくのが常だった。時折甘酒風のどぶろくを飲みふらついたことも。
そして今、我が家におひな様はいない。息子3人のせいもあるが高価なおひな様など家計が許す筈もなかったからである。「ハングリーは人を育てる。」はやはり嘘のようだ。「ハングリーは人を卑屈にする。」と思い始めた昨今である。