5/31 晴れ後(のち)ほしい雨
快晴で締めくくった5月末日は上越が生んだ演歌の女王(?)「華かおりチャリティ夢コンサート」に出向く。別に行きたくて行ったのではない。2000円の「ただ券」が手に入ったので出向いたまでのこと。
この華かおりさんだが、つい先日、我が町内会館にて新曲発表会を開催したことからにわかに近い存在となった。遅きに失した40歳代からのデビュー、決して全国制覇などもくろんだ訳でもないご当地ソングを自らが作詞・作曲しながら自らが歌ういわゆる「シンガーソングライター」というのだろうか。
500席のコンサートホールは満員御礼の盛況。ご本人カラオケ教室を主宰し、その生徒さんやご親戚、スナックの常連さんも取り込んだ多角的経営をこなす青年実業家というところか。
御年(おんとし)は筆者より数年若いというがおばさん変じて立派な歌手となる。
コンサートホールに「ミラーボール」などあったかと思わせるように身に着けた「ひかりもの」の反射して観客の目を騙す術は久しぶりだ。ここは大部屋のカラオケボックスを思わせる大音響のバックミュージック、難聴者はよく聞こえるだろうが健聴者は難聴になりそうな音量だ。
歌姫の唄は「城下町温度否音頭」「仲町しぐれ」「青田川音頭」と続くが新造船「あかね」の向かう佐渡を唄った「涙の佐渡海峡」を披露す。福田こうへいのデビュー曲「南部蝉しぐれ」いは会場じじばばの心を揺さぶったのであった。
そして、筆者のふるさとの民謡が津軽三味線で紹介される。太棹の津軽三味線から出る曲は民謡の極致「津軽じょんから節」。10名のばちさばきが揃うのは至難の業、2000円の価値をここに見つけた筆者であった。
民謡奏者の子ども、そして教室に通う生徒だろうか、小学生も数人手先も届かぬ長い三味線を抱え、「ふるさと」など小学校唱歌を演奏し拍手喝采を受けていた。クラッシックに目覚め、タンゴに酔いした筆者も昭和30年代、民謡歌手から演歌歌手に転向し一躍スターダムに上りつめた「三橋美智也」「春日八郎」の時代に瞬時に戻っていた。演歌はいいものである。
会場を後にすれば、そこは卓球大会会場でもあった。折しも試合を終えて帰途に着くる若者の姿に老いを感じる老人(筆者)がそこに居た。