7/31 コミュニティスクール全国大会が上越で
早朝より」30度超えの暑い中、チャリンコで最寄りの駅から「ときめき鉄道」のカラフルな車両に乗り、一路会場へ。
集まった先生や学校運営協議委員の数はおよそ1300人とか。この暑さを新潟の暑さ、上越の暑さと感じたかどうかは知らないが50年前に高田駅頭に降り立った筆者の第一印象と同じく、蒸し暑くなんという過ごしにくい土地と感じた他県勢もおられたことあろう。
筆者が現役時代に外部委員に学校のあれこれを諮問した制度は「学校評議員」。管理職として相談し、アドバスを受ける地域の大先輩として大きな存在であった。組織化されて4年目に入るこの制度だが、上越市は小中学校72校が教育委員会の指導の下で参加している。地域の有識者や町内会長、PTA会長や後援会長などそれぞれの機関や団体の代表がその委員を務めている。
学校が示す経営方針や教育課程等々およそ教育に関わる全てから教職員の任免に関わることまでその範ちゅうは広い。簡単に言えば子供をよくするために地域と学校をつなぐパイプ役とでもいうのだろうか。子どもが卒業すればそれで学校とは縁切り・・と言われる昨今の風潮、子供は地域の宝、みんなで見守ろう地域の宝を・・・のスローガンが色あせないようにするのが我らの役目、一銭の得にもならないが高齢者やちびっこの行く末を見守るのが筆者の努めと暑さと戦う毎日だ。
文化会館1Fには全国に上越の逸品を紹介しようとずらりと店が並んだ。酒、銘菓、弁当等々
本日の1000円弁当は昔からの老舗弁当屋「カタオカ」の田舎弁当であった。
安保法案が参議院で審議される中、満を持したかのように地上波初放送で放映されたのが「永遠の0」。終日効き過ぎたエアコンから解放され、冷たい飲み物と〇〇酒を呑み始めた頃だ。
以前映画館で見た映像は全て忘却の彼方に追いやられたが、主役の岡田准一の演技を忘れることはなかった。「死んではいかん、絶対に生きて帰ってこい。」上からも同僚からも「臆病者」「卑怯者」とさげすまれながらも、妻と交わした「生きて帰ってくる」を部下にも「生きて帰ってこい・」と言い続けた特攻隊員となった「宮部」であったが・・・。戦争のむごさと非常理さ、今の時代だからもう一度真剣に考えるに値する傑作と思うのは筆者だけであろうか。(画像はTVから引用)
「国の為に死ぬることが兵隊の本文」ということを今の自衛隊員にはどう映るか。ある人は言う。「自衛隊員全員に法案が通った暁に再度自衛隊に残るか否かの可否を問うべきだ。」と。
宮部の妻の気持ちは揺れ動いた。「絶対生きて帰ってくる。」だが宮部は故障間違いない愛機を部下に譲り、自らは敵艦に突入し、御霊(みたま)を靖国へささげたのである。
宮部を祖父に持つ孫二人は、祖父の生き様を戦友から聞き取り、その生き方とともに戦争の愚かさに愕然とするのであった。戦争に大義も条理もない、口惜しさと、寂しさと憤りと無念さと憎しみが残るだけである。正に負の連鎖が始まるだけである。