8/15 終戦の日(敗戦の日)今年の民宿は閉鎖
3歳の孫、疲れと母親恋しく泣き続け、じじのあやしには大分抵抗を示したが、それでも我慢し、手をしっかりと握られ、団扇から繰り出す涼風に安心したのか1時間後には夢の世界へ。小さな子の旅は厳しい。帰省した3兄弟夫婦とその孫たち8名計14名のドタバタ田舎暮らしもようやくその完を迎えることに。手作りの玄関アサガオグリーンカーテンは、やや混み過ぎ風を遮る様にはやや閉口したがこのアプローチに設置した椅子とミニテーブルでは毎夜盃を傾けながら息子たちと語ることができた。何をどう語ったかは定かではないが・・・・。全て自己満足であったかも。
大阪の孫娘から委託された「アサガオ」の栽培も成功し、我がアサガオの控え目な水色に比して群青色とピンクはどこからも鮮やかに見える存在に。
二家族8人が去った我が家は、まるで「強者どもが夢の後」のごとく。「テレビのリモコンはどこだ?」「忘れ物があるぞ?」、葦で作った夏ふすまは孫の体当たりを受け、菱形にゆがみ、やっとその形を保っていた。昨夜のゲリラ豪雨も上がり、爽やかな青空と涼風を受け、我が「がまの亭」は山小屋のごとく洗濯物と干し布団に覆い尽くされた。今年の天気には感謝感謝である。雨だったらどうする?の声もあったが・・・。
残されたじじばばには、これから寂しさと疲れがどっと出てくることだろう。後始末は後に回して
しっかりと休むことで珍しく衆議一決。民宿は閉鎖することになる。
一難(一男)去り、次男去り、三男去り・タバコ三兄弟の帰った後の玄関ミニテーブル上には、タバコの吸い殻がギッシリと詰まった缶コーヒーが数本放置されたままだ。ここ数年、後始末をして帰った息子は皆無だ。未だ甘えの構造から脱しきれないタバコ三兄弟である。「いい加減にしろよ!!孫たちのことを考えているのか~よ。」とは、じじとばばの陰の声。
終戦の日ではなく敗戦の日
戦後否敗戦後70年を迎えた今年の8月15日、新聞、ラジオ、テレビなどメディアは朝から、戦争により人生を狂わされた人々の今や戦後の身の処し方をインタビューで報じていた。言葉少なめだが異口同音に発した言葉は「戦争は惨い、絶対にしてはいけない、戦いは何一つ解決にはならない。仕返しが仕返しを生む不毛の殺戮となる」などが多い。
しかも先月から「安保法案」が衆議院を通り、参議院で審議される中、節目の年の節目の日の今年は国民全ての脳裏に焼き付くことは間違いないだろう。
「終戦」という言葉は他人事、「敗戦」が本当であり、日本国民全てがこれからも心に刻んで忘れてはならない言葉だろう。特に為政者は過去の過ちを犯した立場に今いることをしかと心して政治を司らねばならないことを自覚し政務に集中してほしい。
政党に属する故、自らの意見を勝手に言ってはならぬ縛りはある。我慢できずポロリと本音が出て火消に躍起になる場面、舌禍による役職離脱など枚挙に暇(いとま)の無い与党議員。終戦(?)70年の記念をすべきこの時に出された安保法案の取り扱いには国民の声には真摯に耳を傾け、納得に行く結果を出してほしい。
年2回~3回のイベントですが市内に非ず市外のそれも遠くで帰宅できない距離に居り、家族を連れて連泊すすのが楽しみのようです。お宅のように市内在住ならなにかと心強いことでしょう。酒飲み疲れのせいもあり本当に疲れました。ご指摘のように早く寝ることにします。頭を切り替えて・・・。
お越いただきありがとうございました。