10/20 高田城址公園は小春日和に包まれて
ネーミングからすれば「高田城址公園」も「いいね。」と言いたいが、全国に名高い「三大夜桜の名所高田公園」の名前を変えるにはハードルは高い。
さて、その高田公園だが本日も早朝より快晴が快晴を呼んで外気温は22度超え、やはり暑い。
そして、カメラ担いで撮った極楽橋はなぜか「のっぽ」だ。お濠(ほり)の水位が下がったために、筆者の口を借りるなら歯肉が後退し、歯だけがやけに長くなったと表現しよう。
レンズを三重櫓に向ければ四月の宵に見る白い桜花はなく、黄色く染まった欅の葉と赤く染まった桜の葉が白と黒のモノトーンの三重櫓を囲んでいた。
数か月前まではこのような青葉若葉に包まれ、年の頃なら二十歳であった数多(あまた)の樹々。
レンズをさらに引けば城は欅の枝と茶葉に覆い尽くされその姿は見えない。湖面に落ちた桜と欅の入り混じった花筏(はないかだ)ならぬ紅葉筏(もみじいかだ)が秋の風情を保っていた。
花見会場で大いに盛り上がった内堀土手には無粋にもすでに冬囲いの竹が置かれ、これから迎える冬将軍に備えていた。
西堀の蓮の花と茎と葉は全ての成長を止め、種と化し、その他は茶に変色し地下茎に養分を蓄えていた。小春日和ながらプロムナードの作品群を鑑賞する人の姿はなく、 ただ茶色の蓮の枯れ姿だけが秋風に孤立していた。
夏の暑さにも負けず仏を迎えるがごとくピンクや黄色の花をつけた蓮の花はすでになく、その茎は水面に倒れ落ち、申年(さるどし)の開花に備えていた。
年々歳々咲いては朽ちる花々だがその姿・形は変わらず、年々歳々池に写る我が老いたる姿・形に人生の無常を感ずるは筆者のみに非ず。弱気に背中を押され淡き桜色の蓮の花にあろう筈もない来世にすがりたくなる筆者である。