1/28 今頃の高田公園
目的を果たせず帰宅するもしゃくにさわる。次の目的は明るいお日様に誘われ高田公園撮影することに。入口の大きな公園紹介の看板。きれいな作品となっていた。特に春と夏が売りのようで桜と蓮が満開となっている。
西堀橋の上に雪有り、朱色と白のコントラストが美しい。橋向うの擬宝珠傍には冬の歌碑が見えた。
三十櫓を囲っていた緑や紅葉はすでになく、青空の中に凛とそびえ立つ天守閣(?)を映す湖面には逆三十楼が揺らいでいた。鴨が薄氷から湖面に飛び込む度に揺らぎが大きくなった。
今日から金谷山スキー場が開くと聞き出向く。心臓破りの坂を登れば「営業中」の看板。
お客は・・と見れば車が2・・3台のみ、リフトは空回り、寂しいスキー場開業日であった。
目を転じれば白いきれいな建物「日本スキー発祥記念館」と「ロッジテルヒ」でであった。
ゆるキャラにもなっている「レルヒ」さんを仰ぎ見て下山す。
「この下に高田あり」と雪の高田を評した言葉も返上したくなるようなこの時期の南本町雁木通りである。
夕闇迫れば月一の呑兵衛仲間との宴会が待ち受けていた。この時期の宴会は決死の覚悟で出向かねばならない。豪雪の中を転倒覚悟で歩く。歩きにくい雪道は足腰の弱くなった筆者には酷。駅まで三十分の道のりである。今回は雪無し、風なし、寒く無しの三なしでやっと南高田駅に到着寸前の写真がこれ、見れば上りの電車・・・下り電車は絶対に来ない・・・・単線だからである。
宴会場は高田が誇る老舗「やすね」ではなく、その傍にできた「OTO」という名のリーズナブル(?)な居酒屋。名前の由来を聞けば、やすねの創業者の名前の一部を取ったものとか。
筆者の推測だがきっと「音二郎」か「音松」の一部ではないか・・・と。
記憶は確かに途中まではあった。その後がいけなかった。往路で体力を使い果たし、夕食前のすきっ腹に「飲み放題コース」とくれば結果は知れたもの。