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3/11 五年前の今日

東日本大震災から五年経った。あの忌まわしい災害から五年の節目を迎えた今日、その日のブログを開いてみた。あまり臨場感がないようでもあり、それでも安否確認の記事は発信していた。我が新潟に雪はまだあり、筆者自宅前でピーター(除雪機)で雪を飛ばしていた。
福島は地震・津波に加えて原発事故にも見舞われた。五年経った今も残るは原発の落とし子たる放射能。
過ぎし五年は長く、これからの五年はもっと長く感ずるこことだろう。

2011.3.11のブログの再掲

安否確認情報
大地震で大変な状況となっていますが、新潟のじじとばばは今のところ大丈夫です。避難の準備をしています。16:03 皆さんも十分気をつけてください。

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除雪機操作中で気づかなかったが妻の「地震だよ」の声、急いでテレビを見ると大事(おおごと)になっていた。午後2時46分に発生した地震は宮城県沖で、そしてごく少し経ってから茨城県沖に併発。
後で分かったのであるがマグニチュード8.8観測史上最大級の地震、しかも太平洋上で日本を挟み撃ちするかのように10メートル超えの猛烈な津波が無防備な海岸を襲った。
 滑走路をなめるように走る津波、田んぼをなめるように高台も襲う津波はまるで映画を見ているようで呆然自失の体であった。付近に住む親類に電話するもすでに「後の祭り」で不通となっていた。
 我が家も泥縄ではあったが妻と避難準備を始める。水、お湯、手動式電灯、ラジオ、防寒対策、残り物のパン、そして現金と保険証等々・・。備えあれば憂い無し、中越地震中越沖地震を経験している我ら新潟県民は、恐れることなどない筈だが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」は凡人の常
痛い目に遭わなければ真剣にならないのが悲しい性(さが)である。
 ともあれ、被害がこれ以上大きくならないことを祈りたい。今宵は心安らかに眠りたいものだ。
そこで心配なのが一人暮らしのお年寄りだ。数名に即電話を入れる。通信状況はまだいいようだ。繋がった。
元気です」のしっかりした声にほっと一安心す。「遠くの親戚より近くの隣人」これが災害時に頼りになる助っ人。今言われている言葉「無縁社会」であってはならないことを強く感じ、忘れ得ぬ3月11日となった。
by m-gamano | 2016-03-11 10:06 | 世の中のこと | Comments(0)

幸せ探して


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