4/19 収まらない熊本地震
自宅に戻りたくても本震級の地震に命を落とす被災者も多い。そのために車で夜を明かす被災者に中越地震で明らかになった「エコノミークラス症候群」が襲い掛かる。既に1名の死者がでたとメディアは報ずる。どうにも収まらない活断層の活動、「活動」なんて言葉はなじまない感じがする筆者だ。
必要な救援物資、特に水や食料、おむつや衛生用品が不足という。全国から集められた救援物資は供給基地までは届くがそれ以降の避難所や自主避難先までは届かないとSOSが飛ぶ。(避難所となった小学校グラウンドに救援物資を求めて並ぶ市民)
筆者は思う。日本は災害列島、数限り無いほど自然災害&それに引き続く人災に遭ってきた。その度にマニュアルをつくり、対策をを立てようとしてきた。しかし、同じ規模、同じ種類の自然災害などあろう筈もなく、いつも初動につまづくばかりだ。賽の河原である。
なぜ、マニュアルなしの対応が即できないのか。常識化されない対応をすべきと考えるのだが。
たとえば、救援物資は、フェースブックなどの要請を受けたら、すぐにヘリコプターで供給基地からピンポイントで輸送する。方法は自衛隊のオスプレーでもよし、民間のヘリコプターを貸切るでもよし、はたまた、今話題のドローンを使うもよし、方法はいくらでもある。それを使うのに怖れおののき座して死を待つと同じことをしていつとしか見えない。
地域の神社のお祭り
この日春の大祭とは名ばかりだが、春日神社から神主が見え、お祭りの祝詞をあげて祝ってくれることに。神社といっても石の祠(ほこら)が数個あるだけである。
ウィークデーとあって集まった人たちはサンデー毎日の高齢者の方々ばかり。
祠に向かって二礼し、二拍の柏手を打って幸福を祈願するというもの。
最後は筆者のカメラに収まって「今年も無病息災にて生きています。」との証明写真に納まるのである。
もちろん筆者はいない。昨年秋に見えた顔が言えないと「どうしたのだろう。」と心配するのが一つの習わしとなっている。この後はお神酒と称してお酒が入る楽しい小一時間を
過ごす。
九州地方の地震災害が大変なことになっています。被災した人たちが早く元の生活に戻ることを祈るばかりです。一番心配なことは原発は大丈夫だろうかということです。津波が来なくとも、振動による施設の崩壊は起こります。一時的にも停止しても良いのではと考えるところです。
ブログで蒲野さんの、自然災害や政府の見解や対応の在り方に疑問を呈していることがよくわかります。私も全く同じ意見です。私たちが、子孫にいろいろな課題、問題を残さないことが責務ですから。
今日はきみと輝珀の家庭訪問です。私も若いころ子ども達をぞろぞろ連れて歩いたことを思い出しています。
新潟のじじ・ばばもいつまでも元気で活躍できるように頑張っていきましょう。
輝ちゃんの成長ぶりもわかります。今度新潟へ来たらきっとハーモニカを吹くことでしょう。また、金谷公園に山菜採りにでかけることでしょう。
輝拍ちゃんのゲーム三昧には私もやや心配していました。もっと自然に目を向けてくれるといいいのですが・・・。
毅たちの多忙な一日も目に見えるようです。寶さんには往時のご自身の姿と重なっているのではないでしょうか。
私たちもそばに居てあげられるといいのですが、すべて寶さんにおんぶにだっこしていただいて申し訳ないばかりです。熊本の地震には困ったものです。早く収束してほしいですね。復興に向けた手立てが講じられず、弱者は大変なことになってしまいます。原発も心配です。
寶さんには足腰の達者なうちに是非、高田へおいでください。あちこちご案内できます。今は桜も散り葉桜を超えて若葉になりつつあります。
奥様によろしく