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7/30 我が家のカナチョロ君

  
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ポーチ下に置いたバケツに我が家の家畜ともいえる「カナチョロ」が一匹、落ち込んで這い上がれずに水を大量に飲んだかバテバテの体でもがいていた。
 玄関から続く空き地の草むらへ、自由に往来する爬虫類の一つがこの「カナチョロ」。日本中どこにでもいる・・という。地域によって名前は、カナヘビ等々に変化するがトカゲの仲間。和名は「ニホンカナヘビ」というらしい。そして、これはガラパゴス系ではなく、れっきとした日本固有種というからかわいい。昨今トカゲや蛇など一般的に嫌われ物爬虫類ではあるがペットとしての需要が増しているという。猫や犬などがかわいいのは分かるが無表情で冷血な獣相をしたこれらの種に心を寄せる人も多くなっているという。我が家の玄関周りでは花の水くれ、車の乗り降りする度毎には必ずと言っていいほどそのかわいい姿を見せてくれる。
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世間ではよく「トカゲのしっぽ切り」と言われ、あまりよくない例えに使われるがカナチョロくんにしては延命の大事な手段、人間様の悪行の例えに使われてはたまったものではないだろう。
このしっぽ、その長さは地域によって少しは変わるというがそのほとんどが全長の2/3はあるというから何度切られても再生できるらしい。このカナチョロ、どれを見ても大きさに変わりはない。大人も子供も同じなのだろうか。夏休みの研究素材にしたいくらいだ。孫たちの帰省もあと数日後、カナチョロ君と一緒に出迎えることにした。

草取り名人の老人会
 昨日のことだが、町内会館脇のゲートボール場を囲むように作られた花壇。南葉山登山、南葉高原キャンプ場への入り口の一つとなっている場所だけに環境整備には気を遣っている。
 今回は老人会の役員が出て草取りに励む・・ことになった。お昼寝の終わった頃の4時開始となった。
先日の高田地区を襲ったゲリラ豪雨の後だけに水分をたっぷり吸いこんだ土は柔らかく、すぐに引っこ抜ける。
そして、老人会の皆さんは草取りなどの軽作業は最も得意とする達人ばかり、草はみるみる抜かれ、きれいな花壇、ゲートボール場となった。
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 小一時間ほどの労働が終われば、先日のサロンの二回目のごとく、冷たい「プファー」でのどを潤すことに。枝豆、冷ややっこ、スイカ、タケノコ汁、煮物、モロキュー等々、いつもの乾きものとは大違いの宴会大お通しにビール、酒、焼酎は大いにすすんだ。

使い勝手の悪い優待券
この優待券は1000円未満のお買い物には使えません。」と軽く突っ返されたsスーパ店の3倍優待券。近くにスーパーができて喜んでいた近隣の住民。マイ冷蔵庫、マイ冷凍庫代わりに使え、いつも新鮮な食材を口にできると喜び、近いがためにほとんど毎日通う。無料でいただける純水などメリットは多いが、一つだけデメリットがある。
筆者のように毎日通う買い物客は大量に買い込む必要がなく、ほとんど当日の安売り食材、あるいは単品でほしい場合のみ買うことになる。
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したがって、購入金額は1000円未満で優待券を使うことはまずない。
こうなるとHスーパー店の木曜日に使える「シルバーカード」の5パーセント引き、Iスーパー店の割引ポイントシステムなどははるかにお買い得感がある。週末買いのお客さんも大事だろうが近隣のお客を大事にしてほしいものである。

本日土曜日、「土用の丑」の日
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 この日我が食卓に「ウナギ」の「ウ」の字さえ上がることはなかった。うな丼&うな重は一食数千円と高止まりとか。高価なウナギから離脱して味も似ているナマズをこれに代えて食するというからすごい。しかし、ウナギの味を出すにはかなり手間暇をかけねばならず、本物と同じくらいの対価を支払うとはメディアは言う。自分へのご褒美に食べてみたい土用の丑の日のウナギだ。

ピアノの女王中村紘子さん死去
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鍵盤の女王と言われたと記憶しているが古き良き音楽家がまた一人旅立った。幼少の頃からピアノしか触ることのなかった人。その才能は正に戦後すさんだ日本人の心に潤いを与え、癒しを与え、やる気を興させる源であったと筆者は痛感。筆者一年生に入学した時、歌った歌が「長崎のザボン売り」ボーイソプラノだったんだろうか、レコードで覚えた演歌、その後何回となく学芸会で独唱をさせられた覚え有り。そのまま続かなかったのはきっと面相がテレビ向きではなかったからだと今でも信じて疑わない。きっとラジオ向けだったんだろうとは兄の言葉。
小学校の先生ながら、五線譜が読めず音楽教科はベテランのおばさん先生に代わってもらい、もっぱら体育の出張授業であった。そして当の中村紘子さん、くしくも筆者と同じ歳である。惜しい人を失った。合掌

by m-gamano | 2016-07-30 11:18 | 我が家のこと | Comments(0)

幸せ探して


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