人気ブログランキング | 話題のタグを見る

8/14 来て良し帰ってまた良し

 3番目の息子家族が早朝に帰って行った。ママ抜きの3人であったが小学生低学年の女の子、4歳の男子と皆やんちゃ盛り、ママ抜きのせいか、父親と久々の旅行のせいか自由奔放の行動はじじばばの目からみれば驚きと忍耐で対応しなkれば勤まらない。
自由作品づくりでは貯金箱にチャレンジ。旅先のこととて全て買い揃えての始まりである。
我が家の孫である。どんなにやんちゃでもやはりかわいい。じじの胡坐(あぐら)を安楽椅子と思ったか飛び込んでくるからなおかわいさが増す。一週間に3家族の帰省であったが、孫たちをだっこした足や腰は悲鳴を上げ始めた。嵐が去った後の我が家は、また静かな時が流れ始めた

かかりつけの医者の待合室。日報抄に目を遣る。
青森県の一人の脳性マヒに苦しみむ男児「やっちゃんに関する記事が飛び込む。
8/14  来て良し帰ってまた良し_b0161371_1128273.jpg

15歳という若さで逝ったやっちゃん。そのやっちゃんが母を思い遣る言葉が切ない。
かあさん、ぼくが生まれてごめんさなさい。」のつぶやきだ。
生まれつきの脳性マヒの障害を持つ子として生まれ落ち、そんな重荷の自分を背負いながら生きる母親、世間からは冷たい差別の目で見られ、それでも我が子を守り育てる母の姿を背中から見続けるやっちゃんの母に思いを寄せる気持ちが痛々しい。
五体満足でなんの心配もなく、両親そろって「わいわい」と気勢を満喫して帰って行った我が孫たちとの環境の違いにじじの胸は締め付けられるのであった。
 高齢、障害というだけで人権を無視し、のけ者にしようとした相模原市の事件、寄り添って希望を与えなければならない立場の大事さに立ち返って、心を育てる教育と充実した施策を推し進めてほしいものである。

31年前の空の大参事

8/14  来て良し帰ってまた良し_b0161371_1130319.jpg

1985年8月12日午後6時56分。お盆で込み合う空の便。羽田発大阪行き日航ジャンボ機ボーイング123便が巡航中、突然尾翼が喪失し、操縦不能になりながらもダッチロールを繰り返し、国民がその行方を見守る中、群馬県上野村御巣鷹の峰に激突し、航空史上最悪の520名の乗客乗員を墜落死した。生存者はわずか数名。
8/14  来て良し帰ってまた良し_b0161371_14251673.jpg

毎年、お盆の時期になるとこの事故で殉職された人々の慰霊が為される。
事故の原因は以前に起こした同機のしりもち事故で起きた内部隔壁の亀裂を完全に修復せぬままに飛行させ、金属疲労から気圧が抜け、そのために操縦系統、とりわけ運航に大事な垂直尾翼が破損したために起きた事故だという。
 悪いことは重なるもので、事故を起こした同機は当日定員を埋めるほぼ満席の状態、機体をコントロールするには重く、非常に困難な状態であったと専門家は語る。
 筆者もラジコンながら機体の整備不良が大きな事故あるいは墜落に直結することは理解している。
同機のエンジンは動いていたとは言え、進行方向が定まらぬ垂直尾翼の破損は致命的、不時着しようにもできない状況であったことが機長・副機長のやり取りで分かったという。
したがって進路変更は主翼の補助翼(エルロン)でのみで行うという。補助翼を使えば機体は必ず高度を落とす、それを修正するにはエンジン出力を上げ、水平尾翼で機体をアップする必要がある。
飛行中「ダッチロール」という言葉が飛び交ったが機体は機体のアップダウンを繰り返しながらもお尻を振りながらの迷走をしたことになる。長時間にわたって、機長・副機長はもちろん、クルーや乗客は生きた心地などしなかった筈。しかし、最後はほとんど全員は機と共に命を落とすのだが。

 人間が作り、人間が操縦するしないは別にしても、空を飛ぶものは落ちる運命にあり、形あるものは壊れる運命にあることを肝に銘じておくべきであろう。
そんな気持ちで、孫三昧から解き放たれた本日夕刻、凧揚げ(フライト)に行くことに・・・したが後始末の疲れにて思いかなわず、明日に延期とす。
写真は昨年秋口の飛行場の滑走路、草はすでに枯れて茶色したが小型機にはフライト可能だ
8/14  来て良し帰ってまた良し_b0161371_12385075.jpg

by m-gamano | 2016-08-14 10:16 | 我が家のこと | Comments(0)

幸せ探して


by m-gamano