8月もあと数日で終わる。
表題の語呂合わせの通り、本日は「焼肉の日」というから面白い。きっと日本食肉業界のお偉いさんが肉を沢山食べてほしいということでこの日を設定したことだろう。そのせいか、日本の食生活は明治の「牛鍋」ではないが以前から欧米化が進み、日本古来の和食が敬遠され、逆に外国からは栄養面などに注目し、寿司や魚など和食に興味を示し始めたのは皮肉な現象だ。おかげで日本人は洋食のために大腸がんなど従来日本では少なかった病気が多くなり嘆くことしきり。
その昔、この大腸がん、ゆっくり大きくなるから・・・と高をくくっていたが胃がんを追い越して、肺がんを追い抜き、トップに躍り出るのは時間の問題。
肉と言えば、筆者幼少の頃、食することができたのは、ごく稀だがラーメン上の豚のチャーシュー、そして、年一回大晦日に父が潰したニワトリで味付けした日本そばの漬け汁ぐらいだったろうか。
もうひとつ、正月に豚肉を油で炒めて食したときの「えも言われない味」にはびっくりしたものである。
さらに驚いたのは、中学生の頃、東京で働く兄に連れていってもらった上野の「聚楽亭」の「牛鍋」の味・・・何しろ貧農の家に生まれた悲しさで滅多に食せないゴチ、舌が覚えていない初めての味となった。驚愕の経験であった。
左様に人はその暮らし振りで味覚も変わり、考えも変わり、学問のレベルまで変わるというから貧富の差ほど恐ろしいものはない。
4月から「孫帰る」の一大行事に合わせて準備した「グリーンカーテン」だが、お盆には我が頭のごとく、寂しい成長ぶりのアサガオのツルだが、今ではご覧のようにびっしり、風も通らぬ密集状態となった。筆者がいじめた訳でもないのに手作りテーブルに巻き付いて離れない。可憐な花を咲かせた。この花、紺とか紫とかのドギツさはなく、筆者に似て自己主張せず、周りに遠慮しながら淡く咲いている。ろくに肥料も施すことないからかと思いきやどうらやらそうでもないようだ。