昨日回覧で訃報が入る。筆者の親類ではない。同じ町内だが、隣人で年も筆者より一つ若い。つい先日まで日向ぼっこしながら、四方山話をしたばかりのご仁だ。
風呂に入り心臓関係でそのまま絶命したとは後の話。
不幸は続くもので、昨年暮れ愛妻に先立たれ、気落ちしていたのは確かだ。
人の寿命ほど分からないものはない。お釈迦様が言ったと聞いた話だが兄がいつも言っていた。人の命は「運命」「天命」「宿命」で決まると。
このご夫婦、息子は隣に住み、お嬢さんは近場に嫁いでいるというから、寂しいことはなかったようだ。
筆者などどうなるのだろう。実家は絶え、親戚も遠くにありて、ほとんど没交渉だ。
我が息子たちは、里美八犬伝のごとく皆全国に散らばり、良き妻を得、帰ることなど盆暮れのバカンスに限定している。
今後の日本は65歳以上の高齢者が全人口の三分の一を占め、全人口が急速に減ずるなど空恐ろしいことを聞かされる度に我らの老後は暗澹たる空模様に似て息苦しい。
そうあれば老々介護は当たり前、国は介護の自己負担を一割負担から三割負担をもくろんでいるようだ。加えて、施設に入らず自宅で人生を全うさせる気でもいるらしい。訪問看護や訪問介護ほど手間暇のかかるものはない。
社会保障費の増加を抑制したい魂胆は見え見えだ。病院に入院すれば3カ月で転院させられ、あとはたらい回しのごとく流浪の民となる。
世間体は悪いが一瞬「楢山節考」「姥捨山」の言葉が頭をかすめる。
これからの人生長生きはするものではない。」とはよく言われるフレーズ。年寄りが集まれば「薬」「年金」「断捨離」「お墓」「安楽死」などの言葉ばかりだ。賢く死ぬための答えは見つからない。「ぴんぴんコロリ」がいいと人は言うが、そうはいかないシナリのない余生をどう生きるか悩みが尽きない筆者である。
奢る平家は 久しからず
嘘をつきとおせると国民をなめてかかった加計問題だが、ない筈と強弁した文科省内部に「上からの強い意向」の文書のやり取りが複数の職員の間で共有された事実が明らかになり、もはや怪文書や経路の不明な文書を調べることは必要ない、としりをまくっていた内閣府、官房サイドも再調査をすると方向転換した。(写真 日刊スポーツ引用)
厚顔無地、「国民を馬鹿にするのもいい加減にせい」と言いたくなる腹立たしいやり取りの数週間であった。「共謀罪」どころか「証拠隠滅罪」「詐欺罪」で逮捕したいくらいの国民も多い筈。福岡市の小郡で起きた現職警察官による妻の殺人事件で県警警務部幹部が3分20秒に及ぶ長き謝罪の敬礼でもしてほしい、と筆者は思う。
正に「おごれる平家 久しからず」で締めくくりたい。イギリスがうらやましい。
保守党が完勝と思いきや労働党に追い上げられ、過半数割れの結果となった。与野党は拮抗して初めて緊張感のある政治ができるものと痛感する。