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9/12 命がけのペンキ塗り終了

  何回上がったことだろう。築35年の我が家の屋根。十数年前に葺き替えした屋根だ。家計を任されている筆者、家計簿見る限りメンテの金は工面できない。できるだけハンドメイドでやろう。というアメリカ精神にどっぷり浸かった筆者、、12年前の大工さんによるリフォームは別として全て自力でメンテしてきた。
自然落下のカーポート、玄関アプローチの渡り廊下等々、間伐材の杉の幹を利用し、カーボネートの波板を使って造り上げたものばかりである。昨今の新築の家はほとんど、アルミ製のカーポート、耐雪仕様のために豪雪ながらシーズン途中の雪降ろしはほとんどなった強者(つわもの)である。

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 昨夜降った雨も上がり、滑る心配もなくなった午後、命綱を付け、緊急連絡用の笛を持ち、スマホを持ち、ゆっくりじっくりと作業を進める。先日はは塗ったペンキの場所を見間違え、ペンキ塗りたてを踏み滑って転んで危うくあの世行き・・になるところ冷や汗三斗の冷した金玉(失礼)となった。
 高い所は気持ちがいい。普段見えない景色が見え、心地よい風がやる気を起こす。要は下を見なければ、何も恐れることはないと信じて止まぬひとりである。
 団地にペンキ塗りの職人さんはいる。しかし、ペンキ塗りは危険な作業だけに労賃も高い。仕上げは職人さんのようにはいかないが総額は労賃抜きの材料費だけの10分の1で収まったと自負している。もちろん落ちたら一発だ。

この日の福祉交流プラザの「サロン」はさしずめ体力測定のようであった。20名を超える参会者は
身長、体重、血圧、握力、測歩、ふくらはぎの計測となった。この後、恒例のお茶会となり、唄声喫茶となる。唄はきれいだが伴奏がない。唄だけで雰囲気は十分だが、筆者の「昔とった杵柄」が鎌首をもたげた。

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戦後何の楽しみもない小中学校時代に仲間と神社の境内で吹奏した「ハーモニカ」。
伴奏もつけての少しばかり自慢したい趣味であった。
唄われる小学校唱歌の伴奏をかって出って思いがけない大きな拍手。
ハーモニカというと穴一列のハーモニカを思い出すが昔流行った「宮田バンド」で知られる[
複音ハーモニカ」である。


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この日、上越妙高駅に寄る。孫の住む大阪行きの切符を買うためである。大阪は遠い。しかし、保育園最後の運動会、じじばばに見てほしいは孫だけではなく、むしろ息子の気持ち。明日には歩けなくなるかも知れないとテレビは盛んに脅かし、サプリメントを勧めるが行けるうちに行った方がいいと変に納得するじじである。嬉しいことにジパング倶楽部で30パーセントoffという特典が後押しをしてくれる。
 駅前の♨堀りのやぐらは既に無く、温泉が出たのか出なかったのかいまだに不明だ。


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この夜、嬉しい歌番組に出会う。「昭和偉人伝」では「三橋美智也」の特集を組んでいた。

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北海道から上京し、昭和31年には民謡歌手から歌謡曲を唄う歌手としてデビュー。
民謡の高音域を難なく出し、こぶしも軽く回す、戦後苦難を強いられてきた人々に「リンゴの唄」に続いて「集団就職」で上京した多くの「金のタマゴ」に癒しを提供したのが三橋美智也の唄であった。筆者など中学生から高校生までラジオにかじりついて、この唄を覚えたものであった。
「覚えているかい 故郷の村を 便りも途絶えて 幾年(いくとせ)過ぎた 都へ積み出す 真っ赤なリンゴ 見る度 辛いよ おいらのな おいらの 胸に」
 
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時を前後して同じ歌手で三羽カラスと言われた人に春日八郎 村田英雄がいる。浪曲から転じた村田英雄 三橋に先んずること「お富さん」で一世を風靡した春日八郎  それぞれの声と歌い方の良さで人々を魅了した歌手であったが皆苦労がたたり、早くしてこの世を去った。

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by m-gamano | 2017-09-13 19:47 | 我が家のこと | Comments(0)

幸せ探して


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