暑さ寒さも彼岸まで・・とは昔から言い伝わってきた常套句。今朝の寒さも尋常でなかった。窓に目を遣れば、半開きのままで寝ていた。しかもパジャマは冬物を着たばかりの夜だ。
急激な温度変化に高齢者はついていけない。冬物はまだ化粧箱の中、10月になったらと思い、そのままだがお天気はカレンダー通りにはいかず、10月を待たず冬物がほしい昨今だ。
今日は何の日と言わずもがな、秋分の日、端的に言えば昼と夜の長さが同じ日、早く夜になり、夏ごろに比べて長い夜をどう過ごすか、「秋の夜長(よなが)を独りかも寝(ね)ん。」なんて詠んだ歌もあったが誰だっけ。詠み人知らずだ。
その昔、彼岸の入り20日家族でお墓参りした記憶もあるが、23日が本命。お供えものお団子を持ち、先祖の供養に墓参りするのが通例だった。我が実家ではお墓参りにはおはぎやぼた餅ではなく、米粉で作ったお団子を持参していた。前々日辺りから夜には、ばあちゃんが小さな石臼を炉端にセットし、お米を入れて、みんなで回しながら米粉をつくるのが日常。
当時の日々の生活は何をするにしても、便利な道具などなく、時間だけが延々と過ぎていくそんな生活だったように思う。小豆(あずき)のゴミ拾いや稲束をリヤカーで小屋に運び入れる作業など、体力と忍耐間勝負の連続であった。
上越高田に居を構えてからすでに35年、お参りする墓もなければお寺もない。供養する先祖もここにはいない。そんなこんなで先祖を思い忍ぶ習慣は根付かない。
日々迫りくる体力の衰えと認知症に似た健忘症の襲来に恐れ慄(おのの)く毎日である。
過日月一の傾聴ボランティアに出向く。毎月のことながら新しい方も見受けるが、見えない顔もある。聞けば亡くなったという。いつ亡くなってもおかしくないお歳ながら、一言の「さよなら」も言わずに去る永遠の別れは辛い。思わずこのご仁の一生はどんなものであったろう・・と思い遣ってしまう。
掲示板を見遣ればそこには「敬老の日」の文字。ごく最近は祝日法案とやらで、昔ながらの祝祭日は直近の月曜日に連結させるようになった。敬老の日はやはり、9月15日にしてほしいものである。
我が町内も神事や仏事などは、月曜日か金曜日につなげてほしいとの要望も出るようになった。
共働きや子供のことを考えると従来の固定観念では割り切れないこともあるようである。
筆者などいつでも体は空いていると嘯(うそ)ぶいているが、65歳まで働く方々もあるとすればこれも止むを得ないとすべきだろうか。
久々の「あらかわ」ラーメン
朝夕涼しくなった9月の末、コンビニでは「おでん始めました」というお知らせがかかり、居酒屋では「お燗」の文字が目立つようになってきた。お天気のお昼と通りかかった市民プラザ傍の母娘で細々と営むラーメン屋。その名も「あらかわ」である。しかし、調理師免許の名前は違う。
屋号なのか、生まれた土地なのか、どうでもいいことを詮索しながら入った、sの昔はとても混んでいたように思う。別のカウンターにずらりと順番待ちであった。もちろん、売り切れ御免である。
10年前より100円アップしただろうか。メニューはラーメンの並と大盛しかない。シンプルそのものである。