2014年 07月 09日 ( 1 )

7/9 福島に幸あれと祈る

里見八犬伝の玉のごとく全国に飛び散った我が兄弟、その内福島に住む次男の兄貴は先日病を得て、手術することに。筆者が5年前に手術の時には兄弟皆元気づけに来新してくれたことを思えば兄弟の応援は患者にとって心強いことは言う事なし。ここは福島駅の西口、県都としてはかなり大きい。駅前には東日本大震災の碑とおぼしき鐘を吊るした大きなモニュメント。忘れていけないあの震災、福島県民の心がいつも一つであるようにの気持ちが如実だ。
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 電車・高速バス・高速バスと乗り継いで福島市への旅は長かった。日本海側から太平洋側のみならず日本列島の背骨まで出向くのにかかる時間は半端ではない。
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福島市までの会津若松、二本松、福島市など界隈に表立った地震の傷跡は素人目には一見して確認できない。町は平静を保ってどこかの7月と同じく、軽装の若者が闊歩していた。
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 福島駅は山形新幹線と東北新幹線が分岐するところ。地理不案内の姉を先頭のつばさに乗せる。この後、後発の「やまびこ」は切り離され仙台へ。調べないとあらぬ方向へ行ってしまうこの広軌と凶器否狭軌のれ列車、我が北陸新幹線に配置される電車が思い浮かぶ。
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 新潟では、今頃パソコン教室で受講者とボランティアが一体となってキーボードをたたいていることだろう。そんなことは左に置かざるを得ない状況で福島へ。兄の病状はいかばかりか、憶測はアンダーだが気丈な兄貴のことだ、きっと笑いながら大仕事へ立ち向かう筈。気になるのは兄貴の連れ合い。老々介護で何ができるか、近くに子供たちがいないことでの心配は筆者と同じだ。
新潟県も広いが福島も横に広い。盆地のせいか気温は高く、陽射しが強く。梅雨などどこかへいってしまったかのようだ。
 大学病院といば旧国立大学医学部付属病院を思い出すが、福島県は違った。県立医科大学が主役である。
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 駅二つも乗り継がなければたどりつけない中心部から遠距離の病院。バス代片道490円がその遠さを物語っていた。夜間のタクシー代は3,300円、まるで高田から直江津までに相当する。
 納得の最後は屋上からラジコンヘリならぬ「ドクターヘリ」。新潟では確か1年前にスタートしたばかりだ。
本日のアップは宿泊先のホテルロビーから備え付けのデスクトップをお借りしてアップ。便利この上なし。
 来福して兄貴を手術室へ送り出したあとは、息子のみを残し、我らは福島県が生んだ有名は作曲家「小関裕而」記念館へ。筆者一番に思い出したのが昭和39年「東京オリンピック行進曲」である。
広大なあのスタジアムに流れた行進曲にのって世界の選手が整然と行進したテレビシーンは忘れることはできない。その他軍歌や戦前の有名な唄は今でもカラオケの持ち唄となっている。
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続く
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by m-gamano | 2014-07-09 08:34 | 我が家のこと | Comments(5)

幸せ探して


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