2017年 09月 12日 ( 1 )

自然相手の農作業は、天気に左右される過酷な仕事。先週の実施予定の学校田の刈り取り作業も続いた雨に延期を余儀なくされ、週明けの月曜日と決まった。この日を待ち焦がれ、予定していた多くの老人会のメンバーの中には都合により、参加できなくなった人も多く。大勢の5年児童の指導に対応できなくなると心配の声も聞かれた月曜日の午前9時であった。
 元気いっぱいの5年生の姿が黄色に色づいた学校田の周りに集まったが、老人会のメンバーはパラパラと心細い限りであった。
 既に地元テレビ局「JCV」の記者が取材を始め、地元タウン紙「上越タイムス」社の取材も始まっていた。作業開始前の田んぼにはもち米「コガネモチ」の稲穂が頭(コウベ)を垂れ、刈り取られるのを待っていようようであった。向こうの白い建物は黒田小学校。


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約8畝(8アールと換算するのだろうか)の広さの学校田は1限~2限の終了時にはほぼ刈り尽くし、稲穂ひとつも落ちていないほどきれいになっていた。
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この広さなら一クラスの手では昼までかかるかとの予想に対し、写真のような今では山間部でしか使われなくなった「バインダー」なる古(いにしえ)のマシンも登場、ぬかる田んぼ、狭い田んぼにその威力を発揮してくれた。我が実家もその昔2ヘクタールの田んぼをこのバインダーで刈り取っていた。
もっとも筆者が子供のころは、正に手刈りで腰が何回もギブアップするまで苦労の連続であった。
今やコンバインなるもので車上の人となり、なんの苦労もない便利な農作業になってしまった。
 しかし、その代わり数百万のする機械の支払いの農協から借金し、その支払いが終わったころにはまた、機械の買い替えが待っているという、農機のメーカのために農業をやっている感もぬぐえなかった。そして、農閑期の出稼ぎが追い打ちをかける「生かさぬように殺さぬように」江戸時代の「士農工商」の身分制度が未だに残っている所以がここにある。

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稲刈りがやっと終わってみれば、言わずと知れた記念写真に納まる5年生。この活動は各学年ごとに決まっており、3年生から6年生は「総合活動」という活動名でくくられており、各教科の学習したことを「総合」の中で活用しようというものである。ちなみに1年生は「生活科」という呼び名で理科的社会科的な内容を学習することになっている。

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当日取材に訪れた地域のテレビ局はこの夜ゴールデンタイムに下の画像のとおり即放映してくれた。
勿論、コメントを求められたのは老人会長や活動した児童であり、筆者などにカメラやマイクが向けられることはなかった。

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刈り取られた稲束は、昔ならはさ木に干すのだが、そんな木などあろう筈もなく、納会の終わったプールのヘンスに乾燥させることに。このあと数週間天日干ししながら脱穀作業なるが、これまでが老人会の仕事となる。

 この夜、ぬかるんだ田んぼに脚と腰を取られ、へろへろに付かれた老人たちを慰労したのは自前のワンコインパーテーであった。今のご時世、ボランティアであっても慰労は自前の時代。
昔の苦労した農作業を酒の肴にしながら、「この作業が将来どういう形で子供たちの成長に生きるのか」、時間の経つのも忘れて語り合うのであった。



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by m-gamano | 2017-09-12 15:49 | 世の中のこと | Comments(0)