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1/11 国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった

冒頭の書き出しは確か川端康成の「雪国」の作品だった筈。これにかぶせたわけではないが南葉一帯は一夜明ければそこはまさに雪国そのもの。昨日までお隣ご近所の挨拶「雪が降らんでいいあんばいだね。」はすっ飛んでしまった感あり。
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除雪機の初出動と相成った。しかもこの天気カメレオンのごとくコロコロと変わること激しい。駐車場の除雪が終わった途端太陽が出て、周囲は雪に太陽光が反射してそれはそれはまぶしいほど明るい雪景色。昨夜からの降雪は三十センチ超えだろうか。
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我が田舎の冬は長野に似て痛いくらいの寒さ、雪は軽くパウダースノー、雪が降っても傘要らず、箒で雪は飛ばして道をつけるのが普通。越後の冬、一年経るごとに重い雪は我が肩、腰に大きな負担となる。
それにしても本日は1月11日・・トリプルワンとでも言おうか。最近11日は厄日のイメージ強し。3月11日、9月11日などがその横綱格。

ミカン箱で勉強は昔のこと
昔むかしのそのむかし、戦後間もない頃、敗戦で疲弊した日本全国津々浦々まで貧乏であった。
貧乏百姓の我が家もその日暮らし、貧乏人が学問するなどということはおよそ考えられない時代、中学校出たら即「ああ上野駅」が待っていた時代背景であった。
ハングリーと忍耐だけがやる気のバネであったように思う。今思うと勉強らしい勉強はした覚えがない。高校入試が迫ってちょこちょことした記憶はあるが。
こんな古いことはどうでもいいが、初孫が四月からピカピカの一年生、じじとしても何かせねばとばばがやたらと気を揉む。貧乏性で気の回らぬじじもやっと重い腰を上げ、市内のN家具店に出向く。子供が好きそうな色やデザイン、そして豊富な機能満載の学習机が十種類以上ところ狭しと並んでいた。多くは4万、5万、6万円台だろうか。どれがいいかは親次第、当方は軽いひらひらしたものを送ることになるだろうが、後に続く孫の数を考えると喜びと不安が交錯する。ビフォー&アフターではないが「孫は喜んでくれるでしょうか?」となる。「春よ来い」である。
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新年会は続く
本日はこれで終わりではなかった。スキー発症否発祥の地金谷山の下の割烹「晴山荘」で隣近所のメンバーで新年を祝う班の新年会が行われた。近年世帯数が増えて班は二つに分離したが十数年も同じ処で会は行われている。すでに代が変わり、新人も入るなど新旧の世代交代は激しい。
世代交代といえば宴会場も今は高齢化が当たり前のためか、椅子使用が普通になってきた。畳の上での宴会でやや異様に感じるが筆者など大いに・・・・続く
by m-gamano | 2014-01-11 10:55 | 我が家のこと | Comments(0)

幸せ探して


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