8/11 帰省は雨にたたられて
元気に前向きに取り組もうとする人や肉親の死に喪失感が加わって未だに立ち直れないでいる人々の声を聴くのはつらい。被災地の多くの方々から聞かされる「忘れ去られるのが怖い。」の言葉は我が耳から離れない。
今でこそ毎日多くの事件や事故が日めくりカレンダーのごとくメディアから流されるが、事の軽重はあれども忘れてしまわないと次のニュースが頭に入らない・・・という困ったこ現象。忘れていけない原爆、忘れていけない大震災、忘れていけない原発事故、そして忘れていけない戦争の悲惨さ・・・戦争被災者、戦場で戦った兵士など時間的に後がない人々の声が今出始めてきている。語り継ぐことで愚かな戦争に突き進むかに見える今の雰囲気にブレーキを掛けられることを期待したい。
11号ののろのろ台風ほどではないが、我が家の豆台風も合宿4日目、3人団子で泣いたり、わめいたり、仲良くしたりと、それはそれは賑やかだ。じじばばの静かな生活プールに飛び込んだ3人の孫たちの波紋は大きい。早朝一番に起きて2Fのベッドまで来て「じじ起きてよ~。」の2歳の孫の一声はラジオ体操のお誘いより効果絶大である。
その孫たち、ばばと息子と散歩に出かけたのが本日の朝仕事。数年前まで広い田んぼ、白い山並みの続いたここ灰塚田園地帯にも傍に山麓線の延伸工事に伴うスーパーやホームセンターの建設でその環境はがらりと変わった。
巨大なコメリの店舗に団地は呑みこまれそうな錯覚に陥るのがこの写真。
4日目の孫たちの予定は、雨が降っても海へ、ということのようだ。先日ドンキで求めた小さな「ゴムボート」、3人は喧嘩をしながらも天下の市道で空気入れに余念がなかった。さて、これでしっかりと焦げれば否漕げればいいが・・・。
道路が通れば車の音、お店ができればお客の車の音、そして、空調の音など様々な音が聞こえる筈、
町内大きな問題が出たのも先日の話。4本の交差点のうち、信号機の着くのが1本、押しボタン信号が着くのが1本、来年に信号機の着くのが1本、当初は着く筈の信号器で予算の関係で没になったのが一本と分かった。
それは話が違うと役員会、県議、市議を動員してあの手この手で陳情に行くことに、ある人曰く「横断者の一人か二人が交通事故に遭えば着くんだね。」と。それでは困るとは筆者の応援意見。さて、どうなるか・・・。10月15日が開通式、残された時間はあまりにも少ない。
息子たちがお盆に帰省しても我が家にお墓はない。新所帯のために祈る仏壇も、お墓もない。それでも公園の蓮の花には癒される。本を読まないじじ、文学少女(?)にしてもいいくらうい本好きのばば、そのばばの本返しの間に撮った図書館前のお堀の蓮がこれ、盆菓子の色ににて美しい。
やっと晴れ間の出た夜。爽やかな風の中で、ささやかな花火大会を実施。打ち上げ花日もネズミ花火もない。子供ができる小さな花火と線香花火が中心。2歳、4歳、7歳の孫を真ん中に、お隣近所ご迷惑の「きゃーきゃーピーピー」の花火は30分続いた。孫の心に残っただろうか?。