8/16 我が家の夏終わる
我が民宿「がまの亭」を訪れた第二陣のお客さんは大人が二人、孫が女の子ばかりの3人、計5人であった。
都会暮らしの孫たちに自然を満喫してもらうには散歩が一番。じじとばばは交代で近くの田んぼの草花、虫たちを紹介し、調べ学習よろしく歩くこと30分。あの頃の現役時代に戻るのにさして時間はかからなかった。
13日からのお天気はまずまず。14日のお天気は快晴、夏休み最大のイベント「海水浴」は郷津海岸海水浴場。入った浜茶屋はその名も「日本海」。離岸堤近くまで遠浅が続く、安心・安全の環境であった。子供の海水浴といえば「砂遊び」、息子も入って「砂上の楼閣」づくりに一生懸命となった。
この日の一番人気はゴムボート。エヤーポンプで膨らましたボートに孫3人は十分。パドルも使って息子が引っ張ること数回。波と風と海水の感触は忘れていた海水浴の醍醐味を思い出させるに十分であった。香しきは磯の香であった。
我がグループのすぐ上では大の男たちが熱い砂浜をものともせず、「甲羅干し」に余念がなかった。
昼は肌をこんがりと焼き、夜はその勢いでバーベキューにはまることに。子供が多いこのパーティには、アイス、お菓子、おにぎりなどが振る舞われた。筆者本日を含めて歓迎のビール・お酒は8日間を超えることに・・・「のど元過ぎれば熱さを忘れる」にならぬように注意、注意は自己責任。
翌日の天気は不安定、干した満艦飾の洗濯物、干した途端に天気雨、出したり取り込んだりの繰り返し、気まぐれ天気に翻弄される半日となった。
野外のソーメン流しは諦め、駐車場でのソーメン流し。孫たちの田舎暮らしのスケジュールにはソーメン流しは欠かせないらしく、女の孫3人を含めたイベントは更に盛り上がった。
三泊四日の第二陣の合宿は終わり、兄弟間の交流は予想以上の成績を納め終わることに。
都合により嫁さんは二人とも帰省はできなかったが、それだけ息子も孫たちの自由な合宿生活を送ったようである。「来て良し、帰って良しの孫帰省」で締めくくることにする。じじばばはしばし腑抜けの数日を過ごすことになることだろう。最後はじじ抜きの出発写真に納まる。
15日は戦後69年となる終戦記念日、この日武道館では政府主催の全国戦没者追悼式がおこなわれた。出席された天皇皇后両陛下のお姿は年々弱弱しくなっていくようで気がかりである。安倍総理の式辞はいささか通り一遍の感じで平和を希求しているようには思えず、集団的自衛権と個人情報保護条例の実施に踏み込んでいこうとする気持ちが前面に出ているように思えたのは自分だけだろうか。
韓国、中国のみならずロシアともギクシャクが生じてきたようだ。八方ふさがりにならなければいいが。
夏祭りへどうぞ
映写会もあります!
ドラマ「撃墜3人のパイロット(後)」(以下の映像はNHKBSプレミアムから)
孫たちが帰りひっそりとした夜久しぶりにドラマを見る。この時期定番と言え場定番だが戦争秘話のドラマ。太平洋戦争初期、ベテランパイロット源田実や坂井三郎などと並ぶ武藤という古参パイロットの米パイロットとの空中戦を経て生き残った米兵の追憶が武藤を語る。
戦争末期、米軍は歴戦の強者ゼロ戦をしのぐ新鋭戦闘機は投入する。制空権も制海権も奪われ劣勢となった日本軍は首都防衛のために「紫電改」を投じて高高度から爆撃するの大型爆撃機に対応せざるを得ない状況であった。これはコルセア感情否艦上攻撃機。
武藤機は、米軍のパイロットと空中戦の末、双方とも被弾し、武藤は戦死し、米パイロットは助けられる。戦後生き残ったこの米兵が武藤の生き様を知り、その故郷を訪ねるところでドラマは終わる。これは武藤が搭乗していた紫電改の引き上げられた残骸。戦争は多くの者を失い、多くの不合理を生み、戦後69年経った今でもその傷は癒えることはない。してはならない残酷な選択枝だ。