3/6 今年最高気温23度超えの日
写真の手前に見えし空白地帯だが、地面を見ればたくさんの切株、たくさんの杉が林をなしていた。
春は花粉、冬は防風林となり、多くの雪を団地に降らせてくれた。今冬は遮るものなく風が家の周りを吹き荒れ、積雪も少なかったようだ。
普段なら、すぐそばのスーパーへ行くにもセーターにニット帽、大きな長靴を着用するなど防寒を完全にするのだが、今日ばかりはジーパンに運動靴、ノー帽子にジャケットと軽装だ。
今は亡き団地の花咲じいさんが遺せし梅の木は春と間違えたのかきれいな蕾と花をたくさんつけてくれた。枝垂れ梅なのだろうか。今年は「雪国は 梅も桜も みな一緒」とはならなかった。
田舎者が背中に背負う唐草模様のごとき文様は、Windows8,1にアップした折に入っていた
Bingという検索エンジンに付属してきたもの。走馬灯のように日替わりランチのごとくその模様はコロコロ変わり、きれいにしかも普段知り得ない海外ものまであり、仕事を楽しくしてくれる。
この写真(?)は北極かはたまた南極から溶けだした氷河が流氷となって旅する風情と見てとれる。人工でなく自然が織りなす模様としては貴重な画像だ。白と緑のコントラストが目を癒してくれた。
またもや日本的お任せ仕事の顛末
新国立競技場のすったもんだはその設計コンペのお粗末に止まらず、今度は「仏造って 魂入れず」と同じ轍をを踏んでしまったようだ。
天井知らずの設計&建築費用のそろばん勘定は国民の厳しいご意見でようやく初期の額に収まり、これで一旦収まったかに見えた本体に今度はそのシンボルとも言える聖火台がカウントされてなかったことが発覚した。開会式のストーリーは誰が描き、その算段は誰がしようとしたのだろうか。リレーしてきた聖火の点火もなく開会式を行う筈だったのだろうか。日本はとにかく人任せにしすぎる癖がある。
なでしこジャパンの前監督澤選手は言っていた。今回のリオの出場を賭けた試合で選手は自分で勝を取ろうとせず、仲間に遠慮して相手に得点を許してしまったケースが多かった・・・と。
国立競技場も同じようなもので、部分しか見ず、全体を見る目がなかったとしか言いようがない今回のケースである。気づいていた人もいただろうが自分の仕事ではないからいいや・・・と思ったのだろうか。
コンペは聖火台を抜かしたものであったとか・・・。筆者思うに建設費を下げざるを得ないので単価の高い聖火台は抜かしたまま進めたのかと。お粗末お粗末・・さて、2020に本当にオリンピックはできるのだろうか。あと4年、生きて見たいものだ。