6/29 はぁ~佐渡へ 佐渡へ~と

昨日28日のこと。
どんよりとした梅雨空は、上越特有の湿気を呼んで市民の気分をますます暗いものしている。
しかし、若者は皆元気だ。散歩コースに通学路を選んだ。下校の子供を追う。追い越しざまに「さようなら」と声をかけるが怪訝な顔をする子供たち、大きな行事がある度に来賓席に鎮座するおじさんの顔は認識されていないようだ。または、そんな偉い人がGパンはいて散歩でもないだろうとの推測はできる。校門前には地区の中学校の挨拶運動推進の「のぼり旗」がはためく。
しかし、小学校卒業生の挨拶は芳しくない。「照れ」と「自意識」が出る大人への移行期、やはり難しい時期だ。
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今しがた課外の水泳練習を終わったばかりと見える男女とも頭はおかっぱ。水温を聞けばやや冷たいとのこと。六年生は明日29日に佐渡へ修学旅行という。風邪などひかなければいいが・・と心配の筆者だ。29日は市内のいくつかの小学校の修学旅行が予定されているという。上越地区の小学六年生の旅行先は佐渡一泊、県庁見学して帰るコースが一般的だ。しかし、時代が変わり東京も多いと言う。そして、学習は国会議事堂くらいにして、「デズニーランド」や東京ドームで「プロ野球観戦」もコースに入れる学校が多いと聞く。事実筆者赴任した南魚の学校では、デズニーランドがコースに入っていた。
楽しんだのは子供だけでなく、筆者等教師であったことも事実だ。
佐渡も今、世界遺産を手中に収め、じり貧の観光を挽回しようと躍起だ。
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小木航路に投入された船は新造双胴船「あかね」、かなりのスピードで走るという。
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吾輩が六年生を担任して辿った佐渡旅行コースはこうだ。小木上陸後、「真野御陵」見学、三川にて「砂金採り」、相川にて中国とトラブル(ではない)「尖閣湾」の見学、世界遺産を目指す「佐渡の金山」を地底にて見学。外海府を北上して二ツ亀大野亀にて季節の花「カンゾウ」原野見学。この日は、ほとんどの修学旅行隊が訪れない大佐渡の北端に位置する 「フィッシャーズホテル」に一泊。子供一人ひとりに「カニ」が一ぱい付く様はまるでJAの観光旅行のごとく、これで一本がつけばまるっきり慰安旅行に化ける筈。
夜は地域の有志による「鬼太鼓」が披露され、本土を離れた海外旅行の一夜は静かに老否更けていった。
 旅行二日目は佐渡の北端から海岸線を縫うように南進、そこには焼き物工房「無名異焼き」があり、ほとんどの修学旅行隊は体験学習すると言う。作った作品は後日釜入れされ、学校へ届くというシステム。離島する最後の仕事は佐渡のお土産を買うことである。一人数千円という上限付きのこずかいを目いっぱいを使う。家族へのお土産から自分のほしいものまで、友達と一緒に十数軒の土産物屋を回り、買い求める。旅の一番の楽しい活動だろう。店側も黙ってはいない。店頭に本日ご来店予定の学校名を入れたポスターを複数貼り付けてもてなす力の入れよう。子供の財布の紐は緩むわけである。
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 6年生を担任し新潟修学旅行引率に加わった昭和40年代。当時の世相を反映してか、新潟市の宿に宿泊する場合、子供たちはお米2合を持参するのが普通であった。宿にお米がなかったのかは知らないが、おいしいお米を調達するからだという噂も聞く。
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 当時の古町は新潟市の銀座とも言われ、夕食後白山から歩き夜の古町通りを見学したのも学生以来の古き良き時代であった。
明ければ今朝は旅行二日目の30日、今頃宿を出て「無名異焼き」の体験でもしている頃だろうか、
無事の帰還が待たれる.
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by m-gamano | 2016-06-29 09:59 | 世の中のこと | Comments(0)