1/20 科学立国の伝統と名誉を忘れるべからず

JAXA(宇宙研究開発機構)は、18日に個体燃料ロケット「イプシロン」の打ち上げに成功した。このロケットは同規模のロケットの約半分の経費で打ち上げられるという極めてリーズナブルなロケットである。

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これにはNEC開発の小型観測衛星「ASUNAROー2」が搭載され、所定の軌道にのったとのこと,北の大陸間弾道弾「火星―15号」に比べればその比は歴然としているが開発への意欲や下町のやる気は世界に冠たるものである。 固体ロケットと言えば、筆者中学生のころを思い出す。戦後日本は戦争に負け、航空と名の付く産業に手を付けることはできなかった。飛行機の製造、販売その他諸々の開発や製造ができないことになっていた。もちろんロケットも同じである。
 当時筆者の住む秋田県道川海岸では、東大の糸川英夫教授がこれも固体燃料を入れたペンシルロケットの飛翔実験をしていた。ペンシルロケットだから鉛筆の大きさから始まった。

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その後カッパロケットに改良がなされ、ロケット誘導するには固体燃料では無理であり、液体燃料に変える必要あり、との結論まで至ったことを思い出す。

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筆者当時中学3年生、時のソ連はアメリカに差をつけるこの宇宙開発分野では数歩先んじており、初の人工衛星「スプートニクス」の打ち上げ成功のニュースを午前4時頃、米の取り入れ後の脱穀作業の合間に聞く。

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未だ明けない闇夜の空に人工衛星の航跡を探した思い出が懐かしい。
日本の科学研究は平和利用である。

後日談になるが、「少年よ大志を抱け」は余りにも有名な言葉。戦後の何もなかった時代、筆者を含め多くの子供たちにはそれなりの夢があり、チャレンジ精神も旺盛であった。月にロケットが飛び、月に人類が降り立つ時代を迎えた昭和30年代、筆者も夢は宇宙までとはいかずとも、ロケットを飛ばしたいと切に願うようになった。確か中学生の頃、おもちゃのピストルで打ち鳴らす紙雷管や花火から火薬を取り出し、これをコーモリ傘の柄に詰め込み、河川敷で飛ばす実験を数回行った。くつかの失敗は続く、先ず火薬を取り出す際に、火薬をこすってしまい、火がつくと言うか、爆発して自身の髪の毛がチリジリになったこと。河川敷での飛翔実験は、火薬に順序よく火が回らず、一気に爆発したからたまらない。
コーモリ傘の柄など粉々に吹き飛んでしまった。今のように予備知識はインターネットから得ることすらできなかった時代、恐ろしくも滑稽な体験学習となった。


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by m-gamano | 2018-01-20 15:34 | 世の中のこと | Comments(0)

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