小学校の修学旅行を思い出す。寝るまでの賑やかな談笑と枕投げ、そして先生の巡回。
孫たち3人が帰省して4日目となった。日々静寂の中に浸っていた二人にとって、元気印の3人の帰省、それも子供たちだけの受け入れは時代が違うとは言え長年教師をやってきた我らにとって面食らうことが多い。
年齢差が障害となる。子どもは規則・規律を守り人様の家ではいい子でなければならない・・の固定観念が先行していた当時。しかし、この度はいつも帰省する顔なじみのじじばばの家、しかも内二人は以前に数日間一人で滞在した経験を持つことから、テンションは帰省当初より上がっていた。昨日は金谷山にて半袖で芝生を駆け回り、転んであちこちに擦り傷をつくった今度三年生の孫娘、
危険な都会の道路では安全な自転車乗りの練習はできないとじじにその指導を任された今度年長になる男の孫。じじばばの第一の仕事は安全に10日間の田舎暮らしを全うすることと決めているものの、元気印の孫たちの動きは予測できない。首を押さえながらの操縦の指導は困難を極める。
この日快晴に誘われて新駅jに赴く。開発が遅れている西口にもようやくホテル建設の槌音がこだましてきた。遅かりし由良助とでも言いたいような鈍行開発である。
西口正面には未だ雪消えの遅い妙高連山がその威容を示し、天水田に頼る農民の心に安心感を与えていると言う。
駅のロビーには6日から始まる高田城百万人観桜会のポスターが十数枚飾られており、降り立った観光客の目を引いていた。その数枚を活写してきたが、撮影の技法も環境もうまくないのか入り褪せた
コピーになってしまった。
3月31日(土)
この日も快晴、