曇り空ながら雪の降らない、寒くない本日柿崎の運転試験所に向かった。
道中また事故るのではないかとか、違反するのではないかと怯えながらの45分間のドライブであった。先ずは時間の余裕を取りながらの運転試験所へのアクセス。思い起こせば新米教師の頃、自動二輪の免許を取得するために飛び込んだ教習所がここ、それ以来のご無沙汰であった。施設設備は老朽化しその様から県の施設であることが分かる。自動車学校の比ではない状況であった。控室では既に数名の75歳超えの吾人が数名、そして、少し若い奥さん風の方たちも数名、聞けば旦那を乗せて来たとか、はたまた事故らないようにエスコートしてきた方々だと言う。やはり皆同じ境遇で来たのだと納得しきりであった。
45分かけて来たのに試験は僅かの30分、何を試験するのかと訝(いぶか)りながら職員の指示に従って試験用紙を開く。普通なら企業秘密なるのだろうか、行政秘密になるのだろうか。知りえた秘密をばらして問われる公務員法にひっかかるのだろうか。心配しながら感じたことをつぶやきたい。1ページの問題は本日は何日?、住所氏名年齢、生年月日などなど、忘れては困るいくつかの必須事項の回答が求められ回答用紙の1ページは終わった。
次は、75歳後期高齢者になったときに認知機能のテスト問題と同じもの。16枚の絵を覚え、覚えた絵を忘れさせようと別の問題を介在させて忘れるように仕向けたいじわる問題。先回の試験では覚えたのは半分にも満たない惨敗の出来。ヒントを得てやっと合格したのだろうか。記憶力悪く、忘れやすい年寄りになっていた。
それでも、関連付けて覚える方法の良さを試験官から聞きかなり助けられる。丸いトマトに関連つけて丸いやかん。大きな音を出す戦車に対応して太鼓など、まともに覚えることの難しい問題は関連づけて覚えることに得意の高齢者の特性を知った筆者であった。
昨夜は一夜漬けではないが、もし、免許を取り上げられたら、と脅迫観念に恐怖を感じ勉強したのが功を奏したか自己評価ではかなりいい線までいったと感じた。
試験官は、最後に「この試験はお年寄りの方々を落とすのが目的ではなく、これま頑張って日本を背負ってくれた皆さんが更にがんばって日本のために支えていただけるように自己能力を見極めるチャンスととらえてほしい。」と結んだ。そうであってほしいが、届けられた通知では点数がわるければ免停や取り消しにするぞ、との意図が見え見えに感じた筆者である。
普通なら考えられない高齢者が起こす事故のニュースには、必ずといっていいいほど年齢が出され、全国的には65歳以上や75歳以上のお年寄りの比率がとても多いと出される昨今・・・・どうとらえたらいいものか悩める子羊である。(筆者羊年)
本日2019.2.14の話、
テレビは報じていた。全国の交通事故件数は減じているものの、75歳以上の後期高齢者の交通事故件数は前年比10%の増だと言う。ここに前述の臨時認知機能テストの必要性が出てくる貴重なデータにお目にかかった筆者だ。シフトキーを前進にいれながらバックしようとした方、高速に入ろうと入口を間違えて反対車線を逆走した方、筆者のように確認をせずに先行車に追従しながら赤の信号を無視してしまった人などと
「遺憾に思います。」「残念に思います。」を多用する政治家にはその真意は我ら国民には伝わらない。
この度の小学校4年生の女児児童が父親の虐待を受け、短い生涯を終えたのは痛ましい限りである。
児童相談所の対応、教育委員会の対応など、行政は子供の命を守るために各種機関が発する情報を駆使し、子供たちの命を守る努力をする、叫ぶが今回はその機能がまったく作動しなかった。甘い自己判断、自己完結に走り過ぎて、あるいはお役所仕事が邪魔をして一歩足が前に出なかったと解されても仕方のない動きばかりが目立った。
そして、決まり文句が「二度とこのような結果が起らなないように誠心誠意努力します。」で終わってしまう。
何時も違和感を抱くのにお偉方の言葉がある。特に国権の最高責任者である安倍総理が多く発する「遺憾です。」「残念です。」言葉がそうだ。この表現だが悪く捉えればまるで他人事(ひとごと)のように思えて仕方がない。本来ならば遺憾は「よくないし、お詫びしたいと思います。」の筈。また、そして本来あば残念は「このよいな事態にならないように努力したが起きてしまいとても残念です。」である筈。
事件事態をよく調べ、その被害者に寄り添いながら発した言葉にはほど遠い感は拭えない。