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8/16 戦後は闘いが終わっても続く

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戦後75年は先の大戦に大きな一つの区切り、と国民の多くは言う。しかし、この戦いにお国のためだと
身を挺して果てた多くの兵隊、そして戦禍の中命を賭して支えた続けた市民だが幸せの戦後はなく、今もその悲惨さと不幸の連鎖は多くの国民を苦しめ、心身の傷の癒えることはない。朝日朝刊の「天声人語」に作詞家なかにし礼さんは語る。
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大陸からの引き揚げ船の中、ラジオから流れ出る「リンゴの唄」は自分には残酷であった、と。

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戦争は8月15日で終わった訳ではない。大陸に残された人、敗戦間際のどさくさ、ソ連兵の暴行や略奪に晒され、避難途中に命を落とした多くの同胞が居る逆境の中で、なぜ平気でこのような明るい唄が唄えるのだろうかと悲しくて泣いた、と著書『歌謡曲から「昭和」を読む』に書かれたとある。
 筆者はこの唄は好きである。明るくこれからの日本の前途に希望を持たせてくれるように明るく希望が持てる唄、そして、そのテンポの軽快さにほれ込んだ一人でもあった。
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 歌は世相を映す鏡だとも言われるように芸術の世界でも、「三つ子の魂百まで」と言われるように幼少の時に学んだ学問や芸能は成人し大人になっても忘れることなく、ますます研ぎ澄まされて開花するという。
 確かに、大人になって覚えた芸は忘れるなどややいい加減だが、小さな時に覚えたことや歌ったメロディは不思議と正確に覚えている。
 好奇心と五感の鋭さが吸い取り紙のごとく全てを記憶し記録し、人間性を加味し染め上げていくようだ。
 筆者二十歳を過ぎ、教職に就き教壇に立つことができた。宴席に加わり若いから唄の一つでもどうだ、と言われて、臆せず歌ったのが何故か軍歌であった。他に民謡、浪曲・浪花節、歌曲などがあったのに戦争にも行かず戦争が何だったのかも知らずの若造が先輩の前で唸ったのが軍歌だったのである。戦中は当然としても戦後間もない頃さえ軍歌は未だ祖国日本の復興のために、戦地で帰国できない復員を待つ人たちのための数少ない需要な応援歌であった。
 歌いながらその意味も背景も分からず、行進曲風の唄に魅せられて歌った。横並びに同期の仲間が唄ったのも覚えている。時既に戦後二十年を経た昭和40年代、日本は高度成長期に差し掛かった頃だが、先輩の誰一人として「その軍歌を止めよ。」と制止した人は居なかった。
当時筆者諳(そらん)んじて唄えた唄は以下の曲だったように記憶している。
 「異国の丘」「麦と兵隊」「戦友」「ラバウル小唄」etc小学校唱歌に非ず。

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「リンゴの唄」に絶望を感じたなかにし礼さんが大陸で味わったとてつもない絶望感と挫折感、帰国という喜びを素直に味わえなかった明るい曲調のリンゴの唄、軍歌が流行歌と思い込み歌った我が幼少期。「唄は世相を映す鏡」のフレーズはその後筆者の頭から離れることはない。過日も隣近所寝静まった頃インターネットから田端義夫の「帰り船」を引っぱり口ずさんだ。

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by m-gamano | 2020-08-16 15:43 | 世の中のこと | Comments(0)

幸せ探して


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