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8/18 浜松市の最高温度17日には41.5度を記録

上越市高田午後3時50分、我が家の玄関前の温度計はややおとなしい31度を示していた。
昨日浜松市午後0時10分には41.1度を記録したと新聞・テレビのデータ。
日本全国気象の差というか幅とでも言おうか結構大差があると感じた。これでは筆者たち高齢者の身体が持たないのも無理からぬところ。
 以前猛暑で有名になったのが熊谷市であった。2018年7月に同じ最高温度を記録し筆者たちも驚いたものであった。
新潟県でも40度を超える記録が過去にあった。2018年8月23日胎内市で40.8度を記録している。新潟の場合気温と湿度が混ざり合って更に蒸し暑い猛暑となる。
 それでも自然は正直だ。今朝ラジオ体操に出かけるもじじの老肌をかすめる風は既に秋風だった。呼吸困難になりながらマスクをし、肺に負担をかける早朝の体操、コロナ禍で自粛したのか老人会の参加は恰好つけての筆者だけ。広いゲートボールコート故(ゆえ)間隔は十分にあり、大丈夫だと自分に言い聞かせながらの参加、何かあったら自己責任だと腹を括(くく)っての老人体操はあと5日間で幕を閉じることになる。学校が始まれば今度は見守り隊の仕事がお待ちかね。今年は春から夏まで、そしておそらく正月までこの大変なコロナ禍に痛めつけられることだろう。互いに叡智を出し合い、文殊の知恵をかき集めて乗り切りたいものである。

安倍総理大臣大丈夫ですか?
数日前から安倍総理大臣の健康に関するニュースがマスコミで取り上げられている。確かこれまで147日の休みを取らずにコロナ対策を始め多難な国政の陣頭指揮をとってきた。

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 筆者これまで多くの場面で安倍総理をリーダーとする自民党主体の政府与党の政治の進め方に異を唱えてきた。枕詞(まくらことば)は「一強他弱」、安倍総理の持つ権限の下でYESマンを決め込み、お上(かみ)の言うことには異は唱えず、リーダーが忘れたと言えば忘れたことにし、全て破棄せよ、と言われればその場では破棄してきた。その一言で公務員の命が吹っ飛んでも我関せずの風潮にもダンマリを決め込んだ多くに腹心がいたことも確かだ。安倍総理はを裸の王様にしてはならないのが公明党や維新の会の役割の一部である筈。
私はごく最近までどんなブレーンが安倍総理のシンクタンクとなり、彼のコーデネーターで、ブレーンなんだろうと不思議に思っていた。
健康に気を使っている筈なのに、秒刻みのスケジュールをこなしている。弱音を吐かない、責任感の強さ、対外的にもどこの元首にも負けない持論で日本を主張する。超長期にわたる首相のレッテルを貼られてきた、正にほめて差し上げたい人物まで大きくなった。
 しかし、彼が任命し入閣した多くの大臣にはいつも落胆させられる。そしてその行き着くところは安倍総理の評価になるので歯がゆいところだ。
 もし、安倍総理が体調不良になり辞職する羽目になったらどうなるのだろうか、政府自民党の土台骨は即崩落するのではなか、と心配するばかりである。

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 ご本人には今この時期にコロナ禍に負けてはならない。
 国難とも言えるこの時期に、与党も野党もない、オール日本党の気持ちで当面の敵コロナに対峙していかねばならないと思う筆者だ。

8月19日 秋はそこまで来ているのか彼岸花の姿
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タラの芽は知るもタラの花知らず 
背高のっぽ若草色の清楚な花発見




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10年前までは団地に隣接する杉林であったこの林、伐採後は雑草は茂り、希少価値のタラの芽の木は温存、下草を刈って残ったタラの木からら珍しい花今が咲頃 初めての撮影だ



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   戦場のバイオリニスト
 終戦記念日を境にして、戦後75年節目の年を迎え戦争に関する記録などが次から次へと映像で出てくる。
 上越発の「ビルマの竪琴」に似た心が和む話が8/18(火)夕方のニュース。

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 インドネシア スマトラ島に駐屯した上越市出身の「植木周三さん」はバイオリンを心得て出征、戦闘中にもかかわらず童謡や小学校唱歌、軍歌や流行歌などを演奏しては、戦いですさんだ兵士の心を癒していたという。三女の田中幸子さんからの言い伝えだが戦中戦後兄の弾くバイオリンの演奏がどれだけ、同胞や相手国の兵隊の心を慰めたか、敵見方互いに流した憎しみの血も涙も音楽は全てを流し清めてくれた、と話していた。そして田中さんは兄の使ったバイオリンを弾き、インドネシアに思いを寄せ当時の曲を引いてくれた。

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 筆者これを視聴して思い出したのが誰もが知るビルマ戦線で終戦を迎え、引き上げる時になっても異国の地に捨て置かれる同胞の屍(しかばね)の鎮魂を願い僧侶となりビルマにて「埴生の宿」を引き続ける水島上等兵を重ね合わせた。戦争は自国民のみならず多くの相手国の兵隊やその肉親まで辛い思いを残していることを忘れてはならない。筆者の知る「埴生の宿」は中学生の時だっただろうか。広い体育館の窓全てを敗れつつある暗幕でふさぎ、今なら三密どころか観覧者全員が感染するような人いきれの環境の中で主題歌と共に水島上等兵の故国に帰りたくても帰れない帰らない気持ちが心に突き刺ささり、辛い気持ちが老いた今だからか疼(うず)いて止止まない。
当時の映画は確か16ミリ映画、「ヒロシマ原爆記録映画」にしても「ビルマの竪琴」2本とも戦争映画、幼ないながらに心が大きく揺さぶられる作品であった。

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そして何故か今日のBSプレミアムの映画(13:00)のタイトルが「戦場のピアニスト」
テレビ局もこの時期を考えて戦争映画にしたのだろうか?

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 占領されたポーランド、ドイツ軍に追いつめられるユダヤ人、アウシュビッツに移送される大量のユダヤ人、連れて行かれそうになった若者一人、やや有名な放送局勤めのピアニストだがひ弱。主人公は彼、レジスタントの仲間にサポートされ、点々と塒(ねぐら)を変え解放の時期を待つ。進駐してきたドイツ軍将校に一曲請われて演奏す。このとき既にドイツ軍はソビエト軍に追撃されていた。戦争は終わり彼は元の職場に復帰したが戦争の残した傷跡は深く大変なことになったと気づくのは遅かった。

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by m-gamano | 2020-08-18 16:09 | 世の中のこと | Comments(0)

幸せ探して


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