外気も室温もめっきり下がり、INベッドでの「のめしラジオ体操」もややしんどくなった今日この頃だ。のめしの用語は多くの方々は知っておられる筈。なまけとか安直とかに訳されるのだろうか。一度温度が下がる度に体は言うことをきかず、できるだけ怠けることを覚える。今週筆者に与えられた仕事は団地のゴミステーションの管理当番。と言っても別に監視役ではない。出されたゴミの分別が適正かどうか業者が残していかなければ何の仕事もない気楽な仕事。だが、一旦分別がいい加減であったり、業者が違反ゴミと称して置いていったのがあれば当番の出番、ゴミ袋に書かれた世帯番号を確認し、出した主に送り返す仕事が待っている。
しかし、その番号が無ければ返しようがなく、ゴミ袋をひっくり返し名前が特定できるものを探さねばならない。今朝は生憎と二つあった。業者が行ってしまった後にはプラゴミが二つ「分別違反」との理由で置いていった。幸いこのゴミ袋には番号が書いてあり。出した当事者に返すことができ、電話でその旨を伝える。ほっとしたのは当番の筆者だ。
テレビは学校教育におけるデジタル化にどう取り組むべきか?と専門家が論じ合っていた。
端を発したのは政府が日本固有の文化とも言えるハンコ行政を時代がこれだけ変わった現在では非能率的であるとのことから廃止すべき時がきたのではないかとの論からである。
確かに日本はハンコの文化で長い間生活が成り立ってきた。会社の仕事を始め、許認可や連絡の確認等身近なところでは保育園の連絡簿から不動産登記や各種承認に至るまでハンコなしでは夜も昼も明けないとばかりにハンコ人生そのものであった。
欧米ではハンコは何者?全てサインで良しとする文化で推移してきた。
その内オンラインでハンコなしの生活が当たり前になってくるだろうとは巷の論だ。
そんな夕方4時に明日小学校で教えるパソコンクラブの下準備に出向く。
たまたまパソコン教室では上教大の院生が3人、来年から始まるプログラミング学習の打ち合わせをしていた。
筆者がやろうとしていることなど前近代的な古いIT学習に外ならない。
筆者に言わせればプログラミング学習といっても、パソコンでおもちゃに命令をかけ、思ったとおりに動かすだけの幼稚なロボットにしか見えない。
だが、今の時代ロボットがAIと合体し介護ロボットや教師ロボットにもなる時代だ。
既に工業用ロボットは、一日24時間休むことなく、失敗することなく車の組み立てやラインの全てで繰り返しの作業に従事している。一般の人が恐れるのはこれまで人間がやってきたことに代わってしまうことだ。
現実の話、今後遠くない将来多くの仕事はなくなり、人間はすることがなくなるだろうと言っている。
暗くなってしまった学校を出たのが5時30分、いつの間にか学その昔に遡り子どもがいない学校に溶け込んでいた。職員室に挨拶すると未だ校長先生はじめ多くの職員が事務整理をしていた。
筆者の仕事も未だ終わらず、明日早く起きてかっつけることにした。
上越市内のガソリンスタンのレギュラーガソリンの価格は170円/ℓ であった。ここ数カ月変わっていない。ガムのみのSUVのは嬉しい安値である。