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5/18 高田の四季そのままの季節到来

 毎年この季節が来ると思い出すのが初めて高田駅頭に立って嗅いだむしむしとした湿っぽい湿気の多い高田の匂いである。
 昭和39年その年は、国体が6月に新潟にあり、秋には東京オリンピックがあるなど、コロナ禍に怯えて実施か中止かをハラハラドキドキの現在の2021年度とは大違いの高度成長期最高潮の日本の姿であった。政治、経済すべてにおいて日本の戦後復興と国の発展をオリンピックという大イベントに載せて世界に誇示できた記録的な年となった。
 筆者は前年度38年度末には新潟市に大学受験で訪れている。県都新潟市を中心に県内各地は国体の為に陸上競技場や各種競技会場が全面改装され、筆者が受験生の宿として提供された学生寮その名も「好風寮」だったと記憶している。この寮に泊まった受験生は必ず落ちるのではないかと思うほど大変な安宿、(払った宿賃も覚えていないがとてもとても受験の宿とは言えない代物、掃除の後は見えず、アルミの洗面器でインスタントラーメンを作った跡が見え見えの汚さが目立った。
これで受かったのだから筆者の東京での受験勉強が効を奏したのだろうと学生寮など記憶からは抜け落ちていた。
 しかも筆者の学生生活は新潟市ではなく、南北に長い新潟県の西の外れ高田キャンパスとなった。
住めば都と昔の人はよく言ったもので、駅頭で初めて高田の空気に違和感を感じながらどうにか慣れたな、と思い始めたのは半年後であった。今では直江津と高田が合併し上越市となったが直江津市と高田市では風土も住民もあきらかに違う。潮の香りと草木の匂いは合併してはならぬにように思えた。その高田に居を構え大学に通い始めて3カ月後受験地の新潟市で突如起きた新潟地震、あろうことか、2月受験後見学がてらに渡った架け替えたばかりの新昭和大橋は見事にドミノの状態で壊れていた。
この実況中継を見ることができたのはその昔、高田でたった一つのデパート「いずも屋」のテレビであった。昭和石油からは黒い石油の燃える煙が日本全国に配信されたが多くの国民・県民から発せられた声は「新潟国体が終わってからでよかったな。」であった。 
 高田に居座って違和感を感じた二つ目は雪の多いこと、そしてその重いことだ。筆者の生まれ育ったところは、東北は菅総理大臣の生まれ故郷であるが緯度が上がれば寒く、雪は肌に刺さるように寒く痛く、乾燥した軽い雪となる。当然軽く地吹雪になってしまう。新潟県では地吹雪になる所は新潟から北の地方だろうか。
 昨日から製作したベンチ、今日は座面の両サイドに短い竹筒を長短4個ずつガムテープで仮止めした。
これにビールやジュースなどを差し入れて固定して楽しいお茶会にしたいと思ったからである。 

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 しかし、作品を正面下から見ると、なぜか階段に見えて仕方なし。横2本の竹は階段そのもの。お年寄りの昇り降りはやや危険だが、若者なら軽く登り降りできそうだ。明日には左右のガムテープを外し、本物のビールやジュースを差し込んでみたい。そして、脚を2本地面に固定し、着席したいものだ。 
  
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以前タブレットを使いLINEをやっていたが、といっても息子たちや孫たちとのやり取りあけだが、2年ほど休んでしまった。同年代と四方山話でもないだろうとブログつくりに毎日数時間を費やす。しかし、友人や研修仲間とは写真のやり取りもしたい。そんなこんなで昨日たまたま1年間のマイクロソフト社のMcrosoft社のOffice365パーソナルを更新した。使用料は12900円。これを高いと思うか安いと思うかは使い方次第だろう。しょっちゅうソフトはバージョンアップされている。
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by m-gamano | 2021-05-18 18:05 | 我が家のこと | Comments(0)

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