毎日が記念日か、大きな事件が勃発したか、天変地異が起きたか、コロナが猛威を過加速し始めたか?、何があってもおかしくない時代になりつつある。 昔ならあちこちでいろいろな出来事が起こると「世紀末が近づいた。」と騒ぐのが常だったようだ。
しかし、昨今は余りにも短時間に大きな事故やあり得ない自然現象による災害が矢次早やに起き、対応できない場面が多すぎ時の政府も国民も真剣に対応できずに困ってしまうばかりだ。
今年はコロナ禍という前代未聞の厄年者
に2年間もどっぷりと浸かり、身動きが取れない所へ4年に一回のオリンピック競技大会入り込み、天気に左右される全国高等学校野球大会も悪天候のあおりを食って日延べを食らったり本日も雨宿りをしたり、無観客というあり得ない事態にばったり遭い、「それでもやるのかよ?」と悪口を叩かれながらもスタートした。
大会二日目の本日我が故郷、菅総理の故郷でもある秋田からは校名も昔はなかった野球にはめっぽう強いという「明桜」高校が第一回戦で北海道帯広農業高校に大差つけてリーードしていた。きっと私立か市立こうだろう。kの試合、神の祟りか対戦半ばで雨に降られ、ベンチ入りしていたが、結果は未だ聞かずだ。上越も変な天気で雨模様から曇りそううにして晴れと「七変化」、落ち着かない天気だ。
さて、ネタはあちこちと錯綜するも本日は36年前、1985年8月12日午後6時56分、日本航空123便のジャンボ機が群馬県上野村御巣鷹山の峰に墜落し、520名の尊い命が天に召された。
過日これも飛行機の遭難事故に関したニュースであったが、アメリカのニューヨークでは本件とは真逆の1月12日の正月に離陸直後にバードストライクに遭い、左右エンジン機能停止の状態となる。助かる道はただ一つ、離陸の滑走路へ戻るか否かを決断を迫られたがベテラン操縦士の機長の判断で真冬のハドソン川に不時着水を敢行した。乗客乗組員全員が奇跡的に無事に生きのびることができた「ハドソン川の奇跡」の記事が二つの事故を比較してしまう。
天国と地獄の為せる技と言えば語弊になるが、余りにも人間の命が軽く、しかも瞬時に存亡の淵に立たされたようで最近のコロナ禍で言われる一つ行動をするにしても周囲を見ながら安全に安心に動く配慮をして生きなければならないと痛感させられた筆者だ。
日航の飛行機墜落事故で亡くなった故人を供養するために地元の小さな川で行ってきた200個の灯篭流しは昨年は中止し、今年も中止となったが、全国の遺族から届いた灯篭は、地元では川に流した後のことを考え、今年は河原に並べる置き灯篭にすると言う。