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3/15・16 地域の子どもを守る見守り隊最後の登下校を終えて

 が家から学校と名のつく学び舎に通う孫の姿はない。息子3人いるのだが、3人とも地元の小・中・高へ通った後は向学に燃えたかどうかは知る由もなく、故郷を離れ、関東圏&関西圏へと旅立ったのが何時の頃だったか記憶は定かでないくらい昔のこと。
 筆者現役を退き、地域貢献。社会貢献と言えば聞こえはいいが、地元の小学校の送り迎えする見守り隊の一員として老体に鞭打ち孫と同じくらいの小学生を送り迎えの見守り隊に入ったのが後期高齢者になったばかりだった。
 この広い空の下、どこかで我が孫たちもきっと学校に通っていることだろう、事故・事件に巻き込まれないようにとの気持ちでと取り組み始めたボランティア活動。春や秋の季節はルンルン気分で若さ(?)に任せて子どもたちと登校できる喜びに浸っていた。
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 学校教員の校務は国民の多くが異口同音に指摘するように雑務に追われ本業である教材研究ができないのではないかとの意見が多い。
 確かに学校もその他の官庁と同じく上意下達、何か事件があれば指示一つで調査やまとめの仕事が否応なしに求められるところ。これでは子どもが帰宅したあとで教材研究、明日の学習の準備などできそうにない環境となる。
笑い話にしてはきついが、これから行う授業の筋立ては職員室を出てから教室に入るまでにそそくさと考える、というような笑うに笑えない話もあったそうな。
 このような指摘、先生の資質が問われるたびに改訂指導要領では「指導内容の精選」学校には「授業をつぶして準備する学校行事の在り方」改革が求められてきた。

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 しかし、教育はもともと親切丁寧に指導し、時間を十分とって寄り添いながら教え育てて教育効果があがるもの。教師にゆとりがなければいい指導はできないと昔から言われ続けてきた。だが、そのお題目も産業界や日本が置かれている世界の中の日本の立ち位置により子どもも教師も翻弄される時代がやってきた。今も昔も教師は変らない多忙立学校に置かれていたのである。

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優れた教育効果は欧米ではゆとりある生活の中でこそ生まれるもの、として教育界でも「学校週五日制」が取り入れられ、産業界の「週休二日制」が否応なしに学校に入り込み教師の授業の準備や教材研究の時間をもぎ取っていった。
そのあとの「ゆとり教育」により全国の児童生徒の学力が低下し、ゆとり教育を取り入れたことが裏目に出たと手厳しい評価をもらったことは周知のところでもある。
 「学校は学力をつけるところ」「読み書きソロバン」以外は学校の仕事ではない、とまで言われ、世界の子どもたちに比べてレベルが下がった日本の教育の学力向上にしのぎを削った時もあった。教育は時の世相が大きく反映することが大きい。その一番が戦争、世の中は全て戦争一色に染められ軍国少年となり生命を賭して出撃する消耗品として赤紙一枚で戦場に散る運命ははかないものとなった。忠孝教育が戦時下の教育の大本となっていた。筆者など戦時中に生を受け、名前まで「衛」と戦時色一色の人生に染まってしまった。本当なら兄貴のように〇一、〇二のように続く筈だった、と亡き父母が言いたかったどうかは知らないが・・・。
 
 願い
 見守り隊から話は大きくそれ、戦後教育史の域に入ってしまったが、これから日本の国を背負って立つのはこの子どもたち、ロシア対ウクライナの戦争で若き命をこれ以上失わせることのない平和な世の中を築き、若き親子やじじばばを悲しませることのないように各国の宰相は過去の世界大戦に学び、間違っても核と言う人類滅亡のカギを使ってはならない、と心に刻んでほしい。

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by m-gamano | 2022-03-15 16:47 | 世の中のこと | Comments(0)

幸せ探して


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