4月半ばなれど寒暖の差激しく、寝室は夏物と冬物混在し益々狭く感ずる今日この頃である。 4月19日は町内熊野神社の春の大祭の日。大祭とは聞こえはいいが、毎年この祭りにお参りに来る人は15人前後と寂しい数値、とこぼすは筆者と同じ世代の先の大戦前後に生まれた古老たちだけ。
そう言われれば確かにそうで、昔を知る人たちにその感は強いだろう。
昨日は朝6時から町内挙げて熊野神社境内の大掃除、町内全世帯数は116軒、その内高齢者世帯や一人世帯で参加不可の数を除けば80世帯に減ずる。この数値は今後高齢化が進むにつれ増えてくるだろう。
町内会館の裏には自然落下で落ちた屋根雪が残り未だに存在感を示していた。
境内で履き集めた杉っ葉を運ぶのも大層故か今年は大きな袋が数個用意され移動時間の省力化が図られた。
熊野神社と名前は立派だが熊野古道のある由緒ある地の神社とは関係がないらしい。
古老及び町内会長は嘆く。「もっと大勢の人達から集まってもらい盛り上げてほしい」と。 しかし、世代が違い、時代が違うことを正しく認識していないようだ。今の神社は、若者が戦地に旅立つ前に起立し、二拍二礼して赴いた時の神社ではない、ましてや町が遠くで町中の人達が野良仕事を休み、家中皆がお参りし出店で遊び、都会に出かけた兄弟と会える日でもない。
この日は日本の休日法案に決められた日でもなく、ウイークデーが当たっていることも多い。15人前後の参拝者は毎月の町内のサロン参加者数と同じであることから、この数字が当町内の実力であることは間違いはない。
筆者に言わせれば、神社のお祭りを意義あるものにするには、お祭りをイベント化し、町おこし、仲間づくり、お隣さんと仲良く交流し合う場として設計することが大事だと思ってる。
もう少し筆者が若く、間違ってでもいいが町内会長を任されることになたら喜んで進めたい仕事だ。
話しは町内から世界に飛ぶ。
ロシア・ウクライナ戦では、ウクライナ第二の都市マリウポリ攻略のロシア軍の侵攻&爆撃が本格的になってきたようだ。製鉄所地下に盾て籠るウクライナ軍と市民多数が、ロシア軍の投降の呼びかけで暫時ロシア領や国境地域に移送され、尋問を受けているとのSNSの投稿からみてとれる。
今日も現地午後78時から2時間投降を呼びかけ、全員殺りくをほのめかしながら降伏を呼びかけると言う。
ウクライナの医師やボランティアの話では移送された子どもたちはロシア領内で養子縁組させられ、ロシア化される運命にあると言う。ウクライナ軍の必死の抵抗以外使える手は全て使い、自国の領土の拡大をウクライナからもぎ取るつもりらしい。
昔の歴史学習から聞いた話、何万人南京虐殺とか、ポルポト政権の何万人の虐殺とか、他人事のように頭の隅に入っているが、目の前で起こっている戦争が動画でこれほどまでに全世界に克明に知らされことに異様さを感じぜずに入られない筆者だ。