表題に掲げた文言は今正に起きているロシア対ウクライナ戦争の余波を受けたとしか理解できない日本の世相を反映して我等趣味の会のちっぽけな楽しみまで奪われそうな施策・法的解釈が変わってきた。
上と下2枚の写真は当会小林会長より受信した写真
下の写真は形状から見てその姿を特定するのは困難。だが特定しなければ話は先に進まない。ドローンである。今の世の中ドローンと言えばハイテクマシンの代名詞となるが、筆者が以前紹介した代物とは価格的に10倍も高い本格的なマシン、ばずしりと重い。 筆者がと飛ばそうとしたのはTOY(おもちゃ)である。

離陸直後の機影、音は小さく風には強いOさんのドローン、その機体からして通産省かどかは分からないがいが届け出が必要だと言う。遠くに飛び過ぎても送信機から手を離すと操縦者の処へ戻ると言う。

下の機体はハンドランチと言って手投げグライダー、エンジンやモーターは搭載していないが片手で円を描くように投げ上げ、サーマル(上昇気流)に乗せて滑空するプロが飛ばす機体である。
超軽量でありながら受信機で操縦でき風を読んで青空で遊ぶマニアックな機体である。アオキさんのお手製のよく飛ぶ機体だ。

今日は筆者が所属する大人のおもちゃと言ったらお叱りを受けるかも知れないが、2021年度末をもって我がグループは解散をすることを決めた。大人の趣味の会の開催は公的にも私的にも、年齢を問わず、性別を問わず、楽しく和やかな雰囲気の中で仲間づくりをしながら継続することが求められてきた。
しかし、2019年から全世界を覆い尽くしたコロナ禍、集まることが制限され、おしゃべりすることが制限され、宴会などはご法度になるくらい対人関係のコミュニケーションがリスクを負うために遠慮することが求められる時代になってしまった。
加えてえてラジコンなど「いい歳をした大人が音の出る、危険極まりないエンジン付き飛行物体を飛ばすとは何事ぞ?」と言われ続け、肩身の狭い活動の間を獲得することは年を追うごとに難しくなってきた。
地域や行政を跨ぐ「ゴミ拾い」や「挨拶運動」などのボランティア活動は喜ばれるが、この種の趣味の会の多くは苦境に立たされる時代だ。
この写真は、通称「モグラ」とい言って「モーターグライダー」の略称。
モーターで上空の駆け上がり、高度差を使ってゆっくりと滑空して降りる。大きな主翼で視認性はよく、高高度でも誤動作はまずしない。バッテリーが切れるまで遊べる機体だ。
筆者など今だに若き頃に抱いた夢は捨てきれず、かといって大人になっても実現可能な夢も叶わなかった輩はた「大空への夢」は年を追うごとに不可能になっていった。最後は「おもちゃとも言えるラジコン」で若き時代の夢に替わって「お茶を濁している。」ところだ。
今の時期暗雲が立ち込める世相は「ロシア&ウクライナ戦争」と暗くて理屈の通らぬことばかり、何ががどうなるか?素人には全く理解できない。
しかし、その戦いの中に武器としてドローンがリストアップされ、日本もドローンを武器でなく情報提供にしようと供与に手を挙げたようだ。
本日は全員の参加総会とはならなかったが、古き良き時代に教えていただいた指導員?の方々にも会えてうれしい限りであった。先輩たちは今や飛行機やヘリの外にほとんどの人はドローンを持つようになっていた。
ここにきて、来客あり、編集も途中で筆をおくことになった。明日にしっかりとまとめをしたい。
ここからは25日(月)
世界はロシアとウクライナ戦争に心を痛めてきたが、早く停戦が実現し、コロナが沈静化し、誰の心にも穏やかな生活が戻りますよう祈って止まないことだろう。
日本はもうちょっとでGW、そのプレGWとで言える先日の23日午後1時過ぎに北海道の北東端知床半島を管轄する小樽海保にヘルプの電話が入ったという。
「浸水した。」「エンジンが止まった。」そして「船体が30度傾いた。」を最後に連絡は途絶えたと言う。
仲間の船からは時化が始まり営業の出航は止めた方がいいとのアドバイスを受けたようだが、無視しての事故&遭難に繋がったようだと推測しているとか。
その昔から達観した漁師など危険な業務に従事している方々は言う。「浮く物は沈む。」「飛ぶものは堕ちる。」「形あるものは崩れる。」「生あるものは死する。」とか。
今回の海難事故のニュースを聞いて筆者思い当たるところがある。
今から遡ること確か55年前、新卒で赴任したのが西頸城郡能生町、そして糸魚川市、その糸魚川市で4級小型船舶の免許をとることができた。妻には「海が近いから魚を沢山捕まえて来るよ。」と大ぼらを吹きながらなけなしの金をはたいてモーターボートの免許を採った。練習艇はボルボのでかい船、マイボートは市販の船は高いので自作し車で言えば車検をとって海に出る。エンジンはヤマハの小さな中古品。船体は耐水ベニヤを折り曲げた木造船。いい加減な船だったがナンバーももらえた。筆者は当時糸魚川市の梶屋敷(大和川)の浜に船を引き上げていた。海の怖さは何回か経験した。
小型船故に単独で沖に出てもエンジンがエンストを起こすと漂流が待っている。大海のボートなど木の葉のようなもの、オールなど失ったら板子一枚地獄が待ち受けている。しかたなく定置網に船体を固定し、網のそばによって来る魚を釣るのである。
しかし、海の天気はすぐに変わる。うっかりしているとさっき出てきた砂浜に白い波が打ち上げている。小さな船は帰れないのである。海岸に打ち上げる波は高く波打ち際では船などひとたまりもなく大破だ。慌ててエンジンを掛けようとするがエンジンはかからない。
2サイクルのボートのエンジンのかかりは悪いので評判だ。今ならば草刈り機のエンジン。