意に反して突然この世を去らなければならなかった安倍元総理の心中を思い遣ることはできないのが日本の否世界の大方の政治家ではなかっただろうか。 そして、今回の応援演説の応援者の警護を任された関係者の多くも予想だにしなかった事件を予想はせず否予想できず、言ってみれば予想不可能な東日本大震災の元凶となった大地震並びにそれによって引き起こされた大津波、そして、これも予想だにしなかった給水不能故に起きた第一原発の水素爆発後の放射能拡散と放射能汚染という、ほとんど全てが対応できない予想不可能の出来事の結末に終止符を打たざるを得なかった。
ここで取り上げざるを得なかったのが、今となってはほとんど関係・関連のなかった安倍元総理と殺人者となってしまった山上容疑者の間に存在するある宗教、その信者の一人となったなった山上容疑者の母親、この母親が信者として献金した巨額の額、献金の捻出が山上容疑者の生活を恨みへの序曲となった、と報道されると、いったい宗教と献金とはどのような関係性があり、成り立ち、それが世間でよく言われる「高いお布施」「安いお布施」などと、俗に言われる「葬式〇〇」と揶揄されるところにその問題点があるように見えて仕方のない筆者である。
宗教を勉強した者でもなければ、その環境に生まれたものでもない。
一介のどこにでもいる人間の一人だが、筆者の青春時代にふと、摩訶不思議にまた、理不尽に思ったことのいくつかを取り上げて、今回の経緯を自分なりに考えた。
はっきり申し上げて、筆者は宗教は「苦しい時の神頼み」くらいにしか考えて来なかった。誰でも人生の半ばで
苦しみがあり、悩みがあり、友人知人親兄弟に相談し、解決を図り、援助をもらったことはあるだろう。しかし、それでも明快な解決策をゲットできることは稀の筈である。孤独に陥り、相談に乗ってくれた人を恨み、救いの手を得ることができず自滅してしまう人も多い。
戦中生まれ、戦後生まれの日本人の多くは貧乏人であった。百姓の倅として生まれた筆者故生来貧乏は何処まで行っても貧乏であった。
学問をしなければ一生貧乏な生活に甘んじなければならないことも知っていた。どこの家でも神様と仏さまを祀っているが、仏や神様が我が家の生活をよくしてくれた結果を見たこともなかった。
ここまできて、仏は先祖を尊び、感謝をし、自らのこれからを律して行こうとする自立の契約の入口だと解釈していた。
だから、人に頼らない、神にも頼らない、全ては自分に課せられた運命・天命・寿命に身をゆだねることだと薄っぺらな宗教観的なことを想い描いただけに過ぎない。
そして、宗教への入信のお誘いが大学3年生の時に訪れる。
親元を離れ、初めての土地越後で生活し自力で学ぶことは至難の業であった。早朝の新聞配達、夕方から本屋のバイト、その合間に勉強する、若さがどうにかこの苦学生を背中で支えてくれた。
同じような境遇の仲間が一人面倒みてくれた、福島出身のこれまた筆者よりさらに苦学生の人であった。
高田分校という見知らぬ存在を後から知るのだが、2年間の学問をどうにか終え、新潟本校で2年学ぶために転居した3年生の春、命尽きる運命に出くわす。金も底を尽き、下宿で食事なしの3日間を布団の中で過ごす。
今なら何故こんなバカなことをしようとしたのか?考えるだろうが、ここで天に召されてもこれが自分の運命だと達観していた。泥棒でもして食べ物を得ることもできる筈。若さがあれば自衛隊にでも入り、日本を守る一兵隊としての生きる道もある筈、神様と仏様だっている筈、教会かお寺の門を戦えば「レ・ミゼラブル」のようなストーリーが生まれたかも、等々今なら思いついた筈であった。
しかし、ここまでやってきたことに悔いはなかった、そして4日目の朝を空腹のまま迎えようとした時、階段の降り口に置かれたお握り2個ととふた切のたくあんが筆者の運命を繋いでくれる。
下宿先は新聞配達員の一家。じいちゃんばあちゃん、ご夫婦、そして3人の子ども、突然ころがりこんできた学生とは言え、無銭飲食同然の貧乏学生。
ある時、バイト先の本屋で拡販と称して結構な値段のする全集などを家庭訪問で販売することに、素人の学生アルバイトに売れる訳もなく、家庭訪問する先々で門前払いをくらい、落胆する中でかけられた優しい一言、そして出された暖かいお茶、ほっとした気持ちで全てを話始めた。
そこがある宗教の支部長だか、連絡所だったことに気づいたのが大分後だった。
見知らぬ土地で見知らぬ人と出会い、明日の暮らしの見通しもたたない中での励ましほど嬉しいことはなかった。正に神か仏がいるとすればこの人達だと思うばかりであった、と記憶している。