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戦後77年、原爆投下から77年目を迎えた長崎


 朝から毎日のことながらムッとする蒸し暑さが熱中症の襲来を思わせる。このところの挨拶は「毎日暑くて大変ですね。いい加減にしてもらいたいものだね。」だ。
 今日は8月9日、戦争が終わって77年目となる本日は6日の広島原子爆弾投下の第2弾と言うべきか、アメリカは早期に戦争を終えるべくして投下した新型爆弾はそれなりの効果があったと、プラス思考で終戦を早期に実現できたことを自慢げに讃えてきた。確かに昭和16年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃はアメリカにとって奇襲であり、宣戦布告が数時間遅く明らかな騙し討ちとなった。それだけに戦争の形を大きく変える核爆弾による戦争は従来の戦い方を大きく変え、その後遺症も恐ろしいものであることが二つの日本の都市への原爆投下で示している。
 本日が広島原子爆弾投下に遅れること3日後、長崎市は大浦天主堂の上空で炸裂した原子爆弾は暑い日が頂点に達し始める前の午前11時2分であったという。
 筆者も本日午前中は健康教室で利用者の一人でありながらこの会をサポートするスタッフの一人として準備に当たった一人。11時は教室の講座が全て終わり、参加者はこれから帰路に就く時刻、下駄箱から靴を取り出し会場となっている上越市福祉交流プラザ3階の第6研修室には、館内放送が流れた「被爆者のご冥福をお祈りし。その場で1分間の黙とうをします。」の放送、各自一分間の黙とうを捧げた。
 戦争の早期終結のためとはいえ、一瞬の集熱地獄の中で天に召された多くの被爆者の無念さとその後に続いた放射能の治療に生き地獄を経験させられた広島&長崎市民の塗炭の苦しみは慰霊碑に刻まれた数が示している。
 人間は学ばない動物だと77年を経た今、最後の切り札に核のボタンを押そうとするロシアのドンの口ぶりから世界の人々は痛感した筈だ。


下の写真は被爆国日本の広島で行われた慰霊祭を海外のテレビで放映されたシーンのひとコマである。
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同じく広島の原爆投下直下の原爆記念ドーム
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下の写真の説明は明日に

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 写真は、四国は香川県の小豆島を舞台にした壺井 栄氏原作の有名な「二十四の瞳」、昨日8月8日夜のBS映画で放映された作品、思わずブログはそっちにおいて見入ってしまった。
この映画は、小豆島の分教場をロケ地にした原作が壷井栄氏 映画監督は木下恵介監督 主演が女優の高峰秀子であった。
 小豆島は瀬戸内海に浮かぶ小島、島中が花崗岩やら有名な岩石が多く取れ、確か大阪城の城壁に多く使われた、ということを聞いたことがある。
 24の瞳だから12人の子どもたちが学ぶ小さな分教場、戦前から戦後にかけて、赴任してきた大石先生と子どもたちの学校生活が大きな見どころ、「泣き虫先生」で通る新米の女先生と純真無垢で先生の愛情にどっぷりとつかった子どもたちの太い絆は見る人たちに大きな感銘を与えた。
 筆者も若い時に見た映画であったが、筆者たちの子どもの頃と瀬戸内海の場面設定は違ったが同じようなものであった。筆者たちが勉強を始めたのは戦後の昭和24年、当時我が農村地帯に保育所はもちろん、幼稚園などというものはなかった、集団生活も知らなまま明日から新一年生としえの集団生活に投げ込まれる。あの頃、学校に馴染めず、校門前まで来ては帰ることがしばしばった。いわゆる不登校ってやつだ。片道4キロだから大人で1時間歩く距離、行きたくもなくなる距離だ。
 海は遠く、ここで言えば新井に住み、直江津の海を見にいくような距離感があった。 
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自然は下の写真のごとく、有り余るほどあり、自宅が農家であることから、自然から学ぶことばかりであった。
 1年生の担任は、当時としては当然だったようで、おばあちゃん先生であり、1年と2年を受け持ってもらった。
 そして、3.4年生は若い独身の女先生、友達のほとんどは若いお母さん先生にほれ込んでいた。
 その先生が転勤する時には学級中が泣いて送り出した。そして、翌年には転勤した女先生の学校に行き、また全員で別れを惜しんで泣くのであった。
 高学年ともなると大人になり、新卒の若い男先生に習う。体力もあり、男の子は本気でぶつかって行った。ドッチボールなどは当てられる球が強く、皆逃げ回っていた。ほとんどの学級は担任が2年で変わっていた。今でもお習いした先生の顔や仕草は鮮明に思い出す。
小豆島だろうが東北の小さな学校あろうが、学ぶシステムに今昔はない。

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by m-gamano | 2022-08-09 21:57 | 世の中のこと | Comments(0)

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