高校時代から書き続けた我が日記、何年になるのだろうか。多感な青春時代、将来のこと、今日のこと、学校のこと、恋人のこと等々書切れないほどのネタがあった。当時日記帳など買えぬ時代、B5のノートにところ狭しと書き綴った我が人生の記録、処分するタイミングを掴めず、家内の手に渡ることを恐れ、押し入れの奥底にて断捨離を待つ今日この頃だ。
さて、その日記だが、忙しさにかまけて数日ほおっておけば、我が頭の記憶状況は虫食い状態、キーワードなどでつながることもない。
しかたなく、まずは直近の出来事から書き始めることになる。さっきのこと、そして、午前中のこと、昨夜のこと。それでも思い出せない。記憶の糸をたどる有力な方法を見つける。買い物のレシートである。いつ、どこ、何を買ったのか。嬉しいことに最近のレシートには購入時刻が記載してある。これで自分の行動パターンが分かるというもの。
加齢によるものか、認知症によるものか原因は様々だが物忘れの激しさには驚くばかりだ。
町内会にサロンを立ち上げ3回目の集会をく。これまでは月一の日曜日午後の2時間、映写会を中心にした内容であったが、今度はいろいろなメニュー盛り込みながらの開催となった。まずは、40分の映画、短編物であったがロケ地が新潟県中条、実話を映画化したもの、題名も「いのちのあさがお」である。白血病になった小学生をとりまく人と人との心の触れ合いをテーマにした映画、高齢者にとってはまるで我が孫に重なり、咳払いひとつない映写会となった。筆者はこの朝、我が家のあさがおの種を取り、その場で撮った写真の封筒に種を入れて配布。「今日の気持ちを大事にしていただき、この種を来年咲かせてください。」と告げた。この種、筆者がここに移住してから育て続けた30年のDNAのつまった種であることも添えた。いのちのあさがおが来年にどれだけ開花するか楽しみである。
次のメニューにカラオケを用意したが映画のテーマが重すぎたので、その気になれず、カットすることに。そして、軽運動をとゲームに入る。蛇の道は蛇?とはよく言う。
幸い町内役員の集金さん(👩)がこの担当になってくれた、市の「食生活推進委員」さんになっているという。この手の指導はお手のもの。椅子に座ったままの運動、棒運動もなんなくこなしてくれた。人材活用が成功のカギと痛感した一コマであった。
本日の集会は90分と決めてある。最後はお茶会。一人100円をいただき準備した駄菓子とお茶、同じ町内とはいえ、机を囲んで話すことには慣れていない人たちばかり、ぎこちなさが目立つ。話題がなく、馴染みではないからだと察知。今後の課題となった。
そして、サロンの命取りになりかねない問題も浮上す。ケガや事故への対応である。
高齢者はちょっとしたことでもケガをする。また、道中交通事故に遭わないとも限らない。その予防と対応をどうするか・・・。町内会の行事にかけた保険が効くときいて安堵した正午であった。