名古屋市脅威 ,教員団体から金品
の大見出しで何事かと不思議に思わせる記事が26面に出ていた。
どうせいい記事ではないだろうと予見しながら読んでみればやはり不祥事の暴露記事であった。
次に中見出しで3本出ていた。なぞってみれば
■校長などに推す名簿と
■80団体、5千~3万円
■慣例「20年以上前から」
の3本の中見出し、この時期だから出たのか、今国でも自民党の派閥解散劇が金と政治に焦点を当てられ、猫も杓子も話題にしそうな事件となってしまった。
前述の3本の見出しでおおよその概要は他紙の新聞をお読みになった方はお分かりかと思うが、端的に言えば春の人事異動で名古屋市の小中学校の校長・教頭・教務主任の採用及び異動はそれぞれの人材を輩出した学校や同窓会やら研究組織が推薦団体として人事権を持っている名古屋市の教育員会
教職員課に推薦名簿として出され、担当課は371校もの小中学校の3職種の異動と新採用の異動先を決めるのだという。僅かな教職員課のメンバーで個々の推薦名簿の個票を調べ、適材を適所に配置するいわゆる異動会議が延々と夜中まで行われるのだという。その場づくりや調整をするための食事などを用意するのだと言うらしく。このために各推薦団体から表記の寸志が提供された。しかし、裏を返せば職員の異動会議は職務であり、数日かかったとしてもそれは当然のこと、ただ、同課の中でこの業務に関わる管理主事は従来現役時代には同じ校長職をしていた先輩が決定していたあたりに魚心が作用してきたのではないかと勘繰られる点が挙がっている。
市教委は決してそういうことはないというが、慣例として20年以上前からとなれば、決してすんなりクリアする問題ではなくなるだろうと筆者は思う。
退職後ちょうど20年を経た筆者、今さら愚痴をいっても仕方はないが、人事異動問題は、口外できないプライバシーの問題にして誰にも相談できない問題だけに一人自分の胸に仕舞いこんで最後に爆発させる吾人もい多いとか。
長細い越後の地形に親類もなければ友人もいない。しかも
教員になってから一番切なく思ったのは、行く所やることも全て白紙の上に絵をかくようなもので、何一つ相談できる相手が、既習知識がなかったことであった。名古屋市の人事異動を考えるとき、多くの先生方はおそらく知人や同窓生の中で相談できる人もいたことだろう。そして親しく情報交換もできたに違いない。記事に出ているこの校長名簿に寸志が添えられて届く様は、いろいろな思いが添付され、プライベートな所業だから20年間も分からないまま、受け継がれてきたことだろう。始めは奨学であったり、物品で済ませたものが今では自民党の裏金と同じく巨額に膨らんだことは自然であったに違いない。
新卒の頃に見聞きした風景だが、子どもが通う山の学校にたまにおばあちゃんが、畑で採れ野菜を学校に持ってきてくれることがあった。教えて呉れる先生方へのささやかな心遣いだ。これと名古屋市の教育委員会の所業はまるで違う。
ただし、しっかりと見極めると自民党の裏金問題とは時間の経過を既得権とすり替えて、そのまま、発見されなかったからマイポケットに入れたこととはほぼ同じレベルの問題と言える。
話は私的なことになるが、筆者も人事異動では苦い経験を強いられた。新潟県は細長く、そのほとんどは山間へき地、教員の異動と言えば小さな部落が集まったところに建てられた極小規模校が多い。知人も居なければ、親戚など全くない。こうなると頼りは仲間の情報であり、先輩のアドバイス。名古屋の異動に関わる関係団体からの支援の品々や寸志はこの想いが込めれられた善意の気持ちだったであろう。
しかし、それでも教育委員会の教職員課というれっきとした部署が関わった事態は厳しく問われなければなるまい。おそらく裏金問題が表沙汰になったから隠し通せるものではないと後悔して荷であろうと推測する。ちょっとしたことでもばれなければ罪の意識にはならず、常態化してしまい当たり前のことに変化する怖いもの。退職して過日20年になった。
反省することばかりだ。お金も財産もあの世へは持っていけない、そして悪業の癖もだ。人間角が取れて丸くなって消えるのみだ。